2005-01-01から1年間の記事一覧

銀の角(32)

この草原をどれほど歩き続けているのだろう。さっきまで降っていた雨が上がって、星は静かにまたたいている。 我らは水の溜まった草原を歩いていた。うっすらと明るい空を時折綿のような薄雲が過ぎ、あたりに白い靄が立ちこめている。 ここは囲いの中だろう…

地下(31)

交差点の手前で立ち尽くしていた。周りは高いビルばかりで、どっちに行ったらいいのか判らない。 「いやはや、この埃と騒音はどうだ」 ちょうど冬の季節で、寒風が吹き荒ぶ中あちこちで建設工事があっている。 「参ったな」 信号はまだ変らない。とにかく寒…

箱(30)

まんまるの青白い月が森の上に懸かっています。 「ほう、ほう」 深い森のどこかで鳴声がしました。今は午前三時ごろでしょうか。 ばさりと羽音がします。ふくろうはいつも夜になると起きて、飛び回ります。たぶん暗い地面を走り廻るねずみなんかを取っている…

白い蛇(29)

風がざわついて、またぱらぱら松の葉が落ちてきた。 海からの風を受けて、ここの松はみな曲がりくねっている。倒れかかり、横になびくように腕を広げた黒い枝。蛇のようにかま首をもたげ、行く手をふさいだ大枝。座るにほどよい高さに低く垂れた幹‥‥。 さっ…

リズムー論考B(28)

勤めている頃は朝起きるのが辛かった。意にそまない仕事に一日の時間を取られるのは苦痛だった。今ではそんな思いをしないで済むが、それにしても、恒例の大掃除、親戚知人へのお歳暮、年賀状書きなど、この年末も時間割との駆け引きが続いている。 そもそも…

竹林(27)

裏で爆竹がはぜている。また、近所の悪がきが集まっているのだろう。連中ときたら後始末は絶対にしないのだから。 ちょうど葉代りの時期で、裏の竹林のあたりは剥がれ落ちた竹の皮や葉でいっぱいだ。小さな火種でも火事の原因になりかねない。私は家を出て、…

故郷の夢(26)

都会の空に木枯しが吹きわたり、震える電線が憂鬱なスケルツオを奏でる。広告塔を揺する低い雨雲が、見る間にちぎれてぼろぎれのように飛んでいった。 故郷の田舎へこれから帰るべきか、とある橋の上で息子は迷っていた。 橋の向こうにぼんやりと人影が浮か…

長い魚(25)

子供の頃、川でよく魚を捕っていた。流れには、はやが多かったが、岸の石垣の間にはそこを棲み家とするどんこやなまず、うなぎもいた。 うなぎは体全体が黒くて長く、ぬるぬるして捕まえにくい魚だ。口は意外に小さいので、餌をつけた針を呑み込むとなかなか…

杉林(24)

林の中は暗く、雨上がりのようにじっとり湿っていました。うっすらとした月明かりの中で空を指して立っているその杉の林は、誰かが定規かなにかで真直ぐ平行な線を描いたようで、杉の部分は黒く、そうでないところは白く、そして、遠くになるほど霧がかかっ…

自画像(23)

冬のある日、アトリエの前のベンチに腰掛けて、一人の老人が、向うのひときわ高い山を眺めている。もう一時間にもなるだろうか。老人は動かない。 山は鋭く尖っていて、ところどころに積った雪が白い筋になって見えるが、あとは凍りつき、切り立った岸壁で、…

いのち(論考A)(22)

死後の世界を見た者はいない。生きている誰もが最後に行くところなのに、誰もがその世界を想像するだけで、ほんとうのところを知る者はいない。考えられることは、そこが物質というものがまったくない国ということだ。物質のない世界、それはどんな世界だろ…

からくり絵巻(21)

昔ーと云ってもそう遠い昔ではない。昭和の初めぐらいまでの旧家には、隠居部屋というものがあったものだ。つまりは、現役を引退した老人が余生を過ごす部屋なのだが、私の家にもそれらしき場所がある。 今は不要品の倉庫がわりに使っている中二階のうす暗い…

空間(20)

どうも打ち上げは失敗したらしい。私が乗った宇宙船は地球を回る軌道を大きくはずれて、太陽系の外へ飛び出し、今は未知の天体の引力に引っ張られている。 行く手に見えるのは、リングの形をした暗い星雲。そこから放たれる強い磁力に引き寄せられ、私の乗っ…

ミルクの海(19)

雨はもう一週間も降り続いて、見渡す限りの水田が乳白色の水を冠り、一帯が湖水のようになっている。 ここらは、海や河岸を堤防で囲った低平地だ。もともとは海であったところにできた沖積平野なので、いったん、大雨と高潮が重なると、田んぼと水路との境が…

バランス(18)

私のいきつけの喫茶店のマスターは変わり者。今日も店は常連の女性に任せて昼飯を食いに出かけている。 いつものことなので、苦笑しながら、スタンドのぎいぎい鳴る椅子に掛けて、女が煎れてくれたコーヒーをすする。 「出たのかしら、パチンコ」 カウンター…

檻(17)

散歩には恰好の春の宵だ。仲間を誘い寮を出ると、堀端の満開の桜のはなびらがそよ風に舞っている。 「いいねえ、この生暖かい風」と彼。 「そうだな、すこし暑いぐらいだ」と私。 堀端を過ぎ、左へ曲がると大学の門が見える。門のわきに、大きな銀杏の木が立…

勧食会(かんじきえ)(16)

今日は年に一度の勧食会の日だ。施主は、この地方では旧家の中牟田家。今では、姉妹の二人が住んでいるだけの広い屋敷には、朝から近所の主婦たちが集まり、姉のかじ取りで、炊き出しの準備に追われている。勧食会は一時には始まるのだ。 「まったく他人事の…

髭(15)

いつの頃からか、私はサルバドール、ダリのようなひげを伸ばしている。 ダリは、御存じのように、スペインのカタルーニヤ地方で生まれたシュールリアリズムの画家で、その奇矯な言動、なかんずく特徴のあるひげで知られている。 私がなぜダリの髭を模したか‥…

幽霊(14)

「で、幽霊が出るというのは、どこ?」 友人とともに、迷路のように階段が入り組んだ喫茶店の中三階に陣取ると、さっそく私は聞いた。 「ほら、あそこの席だよ」 彼は下の二階の隅を指し示した。 音楽喫茶というコーヒー店が商売として成り立っていた時代の…

みみず(13)

さっきから誰かが戸を叩いている。俺はトイレの中。入っていますよと合図を返すのだが、いっこうに叩くのを止めようとしない。 ここはちんけなアパートで、俺のほかに住んでいるのは、学生三人に年金暮らしの老夫婦二人。家賃が安いのはいいが、トイレが一つ…

星座(12)

なんだか眠れない。寝床で転々として、かれこれ二時間。寝付きが悪いほうではないが、深夜番組のSF映画を見たせいか。どうにも眼は冴えるいっぽうで、始末におえぬ。コートを被り、玄関から外に出た。 黒い松の梢に月が懸かっている。庭から通りに出ると、…

乱気流(11)

川で魚釣りをしていた時のことだ。 上流のほうで子供たちがいやに騒ぐので、そのほうに行って見ると、流れが淀んだ場所で、大きなみずすましが、水面をぐるぐるまわっている。 普通みずすましというのは、てんとうむしぐらいの大きさの黒い水生昆虫だが、そ…

過去(10)

時折子供たちの笑い声が聞こえる。 ちょうど夏休みの季節で、この図書館は、宿題に没頭するため、暑くるしい自分の部屋から引っ越して来た子供達でいっぱいだ。 私は読書に飽いて席を立ち、廊下の椅子に腰掛けて中庭をぼんやり見ていた。 そこには噴水があり…

毛深い生き物(9)

ペットというのは、飼い犬や猫をはじめとして、人間の愛玩用に飼われるもので、ふつうは可愛いらしいものだ。 しかし、家にいるペット(あれをペットと呼ぶならばの話だが)は何だろう。およそ人に可愛いという気持を呼び起こすような動物ではない。 私はあ…

螢(8)

空中に賑やかな花火のように、数々の光の模様が見える。 あれは仲間の合図だろうか。それにしては仕掛けが派手すぎる。第一ぼくらの仲間の光は緑色だ。 最近、街に近いここらあたりでも、ぼくら螢の仲間が増えてきた。役所が清流を取戻すための事業として、…

奇妙な神様(7)

「おい、おまえは洗いは食わないのか」 「いや、おれはこの鯉こくが好きなんだ」 「味噌は血圧が上がるぞ」 今日は年に一度の高校の同窓会。われわれ三人は川上の料亭で鯉料理を肴に酒を飲んでいる。初夏の暑い陽射しが収まって、下の川から涼しい風が吹いて…

巨人(6)

小屋の中は夥しい数の道具の山だった。無秩序に放り込まれたそれらは、梯子や釣瓶、かめなどの日用雑貨はもとより、鍬、鋤、むしろ、鎌などの農具に、木槌、へら、糸車などの工具類も含まれ、小屋の天井まで乱雑に積み上げられていた。 全体が、ふわふわした…

虫の女(5)

どうも私はしょうもない人間のような気がします。いえ、これは今ふと思ったことでなく、ずっと前から感じていた私自身の性格に対する嫌悪の気持です。 その日私は、鉄道を見下ろす場所にいました。かといって別に鉄道自殺を考えていたわけではありません。た…

悠久の河(4)

ここは何処だろうか。水平線は茫洋と霞んで見えず、見渡す限り、茶色に濁った水だけが広がっている。 水はゆっくりと、私を乗せた小さな筏ー一枚の厚い板切れを押し流している。多分、ここはどこかの大きな河口だが、高い空で羽ばたく鴎のほかは、行き交う舟…

故郷(3)

極北のさびれた離島の村である。 硬い岩と砂に覆われた不毛の土地が続き、風が強く植物はみな地面を這うように生えている。 小さなとくさに似た植物。その茎にすがるようにのろのろ這う甲虫。 地元では「志度」あるいは「和沖」ともいうこの島。ヘリポートか…