チーコと私の卒業日誌(186)

1月3日、召集令状

ロシアの少数民族の若者に ある日呼出状が届いた

モスクワからだった

給金に惹かれて行くと 古い武器を持たされて 戦場に駆り出された  

来る日来る日も 突撃作戦 何人もの仲間が死んだ

一体この戦争は何の為だろう  この戦争が ロシアの為に そんなに大切な事なのか

4日、今年になって、80人以上亡くなった能登珠洲の大地震羽田空港の飛行機衝突事故までおきている。これでは、年明けを祝う年賀状は出せない。 中国四川省で、昔の文化財である石像たちに、ペンキで綺麗な色付けをした老人たち。中国共産党のどんな寛大な処遇が下されるのか楽しみだ。

5日、朝9時、好生館に電話、前立腺の手術のための入院を申し込むが、紹介状が要るとのことで、森病院に行き、紹介状を10日予定で申し込む。翌11日に入院予定。このところ夜中のトイレが4~5回。

6日、中国で発見された長江流域の三星堆遺跡には、中国を支配する漢民族とは異なるエジプト、インド系の民族を示唆する遺物が出土しているそうだ。現在の権力者がいかにその正当性を主張しようと、歴史を変えることは出来ない。

10日、昼2時、森病院で紹介状を貰って、好生館に行ったが、明日11日、朝8時半に来るように言われ、スーパーで買い物して帰る。

11日、朝8時前に好生館に行き、受付を済まし、午前中一杯血液、尿検査などしたが、待っていた前立腺の手術は無く、結局、最後の診察で、常用薬が、フリパスからシロドシンへ変わっただけだった。今月18日にまた行かねばならない。

18日、小雨、朝10時から12時半まで待って、ようやく好生館での問診を受ける。結果、前立腺の手術は、90という年齢からして無理で、シロドシンでの薬抑制を続けるべきという医者の意見に従うことになった。院内食堂で食事の後、松原町の中央郵便局から、自宅の八朔を茨城に送る。

21日、人生とは

生きているということは、自分にこだわること。自分の健康、食欲、能力にこだわり、周りの人に認めてもろうこと。これは、生きている限り、捨てられない煩悩。自分の煩悩のために、他の人をそこなうこともある。
しかし生命は、植物や動物を始め、他の命を奪わなければ生きられない運命を背負っている。これも動物に与えられた宿命だろう。この事実は動物同士の調和の限界を示している。
しかし、虐げられる動物や人を見る時の人間の同情こそが、煩悩の救いになる。そしてこれが宇宙の意思、仏への道になるのだろう。

27日 詩の感動
詩は自分の気分、考えの概念的説明のためにあるのではない。
今、多くの詩人たちは、国際、政治には無関心、自分が味わっている日常の気持ちを表現することに腐心しているが、それは、読む人にとっては、いつもの世間話か、他人の愚痴を聞かされているような気持ちで、「そうだろうな」と、納得することで終わってしまう。人が他人の書いた詩を読んで心を打たれるのは、初めて読む深い話に共感した時だろう。
「風は柳を吹いてゐます どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだろう。」(中略)(萩原朔太郎-艶めかしい墓地)
この詩をウクライナの破壊された街並みに重ねたらどうだろう。強い戦争嫌悪の感情が生まれないか。
また、詩は、異質な言葉の組合わせ、意外な言葉が読み手の驚きを誘う。
蟻が 蝶の羽をひいて行く ああ ヨットのやうだ(三好達治-土)
読む人の強い共感こそが詩の目的ではないのか。
人間の気持ちを、日常、概念の説明ではなく、詩への感動の源泉を、想像の世界にまで広げたいものだ。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った(安西冬衛-春)
優れた詩は短くても、現実の世界をなぞるだけものではない。
幾度読み返しても、生命の感動を与えて呉れるのが詩ではなかろうか。

30日、午前中、買い物に行き、午後3時から森病院まで歩いて行く。帰ってから、血圧記録ノートを返して貰ってないのに気付いたが、ほどなく自宅まで、娘さん(?)が届けて呉れた。感謝。