チーコと私の卒業日誌(158)

1日、昼過ぎ、長男から新年挨拶の電話。血圧の事を訊ねたが、まだ、あまり気にしていない様子。本人、暑い風呂は体に悪いとのことで、半身浴だそうだ。帰って来た次男家族の話などもしたが、本人は春にはと云う。妻の認知症は、記憶を洗い流す睡眠時にも取れないまま脳にくっ付いた異物の穢れが原因とも聞く。治ればいいが。

2日、年末に報じられた韓国空港でのチェジュ航空機の着陸事故。ベトナムからの韓国国人の死者は177人、ベトナム人2人。密林からベトコンを追い出すための枯葉剤を撒いたアメリカも事故調査に行くそうだ。過去の南北ベトナム戦争時、韓国軍人や労務者犯した残虐行為、ライダイハンの人権問題などは残るものの、今は経済的に密接な関係にあるベトナムと韓国。因果の連鎖か。

4日、明けてから少しぐらついていた下前歯から、血が少し出て、正露丸を使ったり、歯磨きしたりしたが、昨日までは正常だったのが、歯周病だと思うが、ずっと籠るような痛みが取れない。歯医者はやってないし、晩飯はパンとジュウスで済ませる。

5日、昨晩の歯の痛み、朝方になってやっと眠れたが、朝思いついて、昔からある過酸化水素水に耳かきの脱脂綿を浸して、痛む歯に塗ってみたところ。やがて痛みがなくなった。念のため口はゆすいでおいたが、これでやっと普通の飯が食えそうだ。

7日、朝から、以前、人に言った佐賀弁の誉め言葉が思いだせない。旦那の着ている服が、その場に決まっているといった意味合いだが、その場に居た奥さんは笑っていた。

8日、今期の県文芸賞作品集の印刷のため、県内個人の小説や随筆の発行状況についての、県からの調査依頼については、県の図書館の工事中のため出来ず、文化課の了解を得るため県に行き、ついでに県庁最上階のレストランで昼飯を摂る。

9日、2025-1933=92歳。昭和8年信州飯田市で生まれ、小学校1年で福岡草ヶ江小へ、3年で佐賀の赤松小学校へ。間もなく太平洋戦争が始まる。方言が判らず教員に殴られたりもした食糧難の時代。悪い友、良い友の中学、高校時代。東京でのアルバイト。東京教育大学から帰京して佐賀市役所へ。一つ年下の千鶴子とも結婚でき、文学同人誌「城(田中さん主催)」での活動も楽しかった。

10日、朝10時20分、雪の積もった家西の庭、窓から見えた狸。しばらく、雪景色を眺めていたが、すぐに竹林の向こうに消えた。12時前、森病院へ。近所の杉本さん(94歳)とあって色々話しが出来た。彼の奥さんも90歳で施設に入っている。

15日、国際社会から見放されたロシアに同じ見放された北朝鮮軍が送られ、言葉が通じず苦戦しているようだ。民主主義国と共産主義の戦争。多数決と独裁の戦い。昨日の晩、チャップリンの風刺喜劇様の夢を見た。パソコンの中のニュースを見るグーグルが起動しないので、「回復」を試したら,元通りになった。ユーチュウブの音声が出ないのは途中で切ったからか。後でもう一度「回復」をして見たがやはり音は出ない。声で煩くないのは良いが、音楽は楽しめない。

17日、西英夫と言う人の書いた本に、明治維新当時の藩の政争に長崎のグラバー邸領事が絡んでいるとの見方。司馬遼太郎が書いたかの坂本竜馬の活躍の裏にユダヤ資金があったとの説。当時の日本の政治家の海外見分のために用意された多大の資金など。御一新と美化された明治維新にも、外国からの植民地支配にも準じた教科書には書けない裏があったのだろう。日本の近代化には,戊辰戦争、佐賀、西南戦争等、九州、東北に沢山の犠牲があった。

チーコと私の卒業日誌(157)

12月2日、久しぶりの好天気で、午後2時から庭仕事。北畑の実が小さい鍬の木を試しに片側だけ短く剪定し、庭に生えた要らない小木を掘り取る。

6日、県芸術文化協会から、今年の県文学賞作品集に掲載する県内文学同人や、作品集など異動、発行についての問い合わせがあったが、図書館等で調べて、来年1月10日までに回答しなければならない。

7日、夜の電話。長男にメディアの世界で、カタカナ表現が多すぎることについて不満妻を語る。福沢諭吉は、主に社会生活面での用語(家庭、人民、社会等)の創文字で、今的の中国の日常生活でも、和製漢字が欠かせないとのこと。年々進歩している機械技宇宙術をの翻訳については、まさに追いついていない現況。(殷、元これ倭)という言葉もある。

8日、3日、韓国で少数与党の大統領が戒厳令を発令し(18回目)、国会占拠。同時に前回選挙の不正疑惑の証拠を見つけるため、選挙管理委員会の捜索も行った。両班支配の国が民主主義に慣れるのは難しい。シリアではアサド政権も終わりだろう。午後3時から5時まで、北畑のつつじとボケを植え替える作業。

10日、午後2時から5時まで、北畑の鍬枝の切り詰めなど。

11日、施設に神崎の鯛焼きを持って行こうとしたが、断られたので、妹の所へ。

12日、今日は2時から、主に柿の下の地面に広がった蔦を取って5時半に終わる。

13日、隣の農家の米袋から舞い上がる蛾、袋の底を這う茶色の蛆虫。多分古い米を持って来たのだろう。故意ではないにしても、電話するのをやめて2か月、車でスーパーに行けば買えるが、隣との関係は壊したくはない。

15日、朝、パソコンを見ていたら、ユーチュウブで中國の習近平が失脚し、以前の集団指導体制に戻ったのではないか、との香港新聞のニーウス。最近の中国は、チベットを支配し、南シナ海に九段線を引くなど、勝手気儘を振り回していたが、アメリカの経済封鎖などで国内からも批判が高まったのだろう。

16日、反日行動を繰り返す韓国。今度は、日本に併合された時代に使われた言葉を廃止しようとしているらしい。現代生活に欠かせない用語を無くして、どうしようというのだろう。中国ですら使っているというのに。

17日、朝から、竹田恒泰という人のユーチューブを見ていたが、中国共産党の成り立ち、毛沢東は図書館職員で、共産党兵士は民間服の便衣隊だったという。満州国建国などの日本の介入の歴史もあり、共産党と戦ったかって辛亥革命孫文蒋介石が逃げ込んだ今の台湾政府の立場も理解できる。日清戦争で、日本は未来の敵を助けた。

20日、午後1時前に到着した次男夫婦と男の子。一緒に車でどんぐりに行き、妻に逢うが、こっちの名前を言ってもやはり反応がなく悲しい。近くの森林公園に行き、子供を遊ばせ、後、アルタのおもちゃ屋に行き、買い物の後、古湯の千曲荘に泊まる。

21日、朝風呂、朝飯後、熊の川の妻の先祖の墓地を訪れ、途中で昼食、名尾の手漉き和紙工房を見学して家に帰り、昔の懐かしい写真を見て、3時に帰る。和紙の原料は楮と木篇に歴とか。何と読むのか忘れた。

24日、昼から、表の竹生垣の表裏を刈りこみ、ついでに、玄関入り口の小笹の整理をし、野菜ゴミを畑に埋め、5時半に終わる。

26日、1:1,618の黄金比。二コラテスラという科学者が発見したというこの宇宙や脳波のエネルギーだという。最近の量子力学。蝶の羽の上下が台風の動きにも関係するそうだ。よく分からないが、自然の法則は美しいし逆らえない。21グラムの人の魂は死後も量子の場に残り、又生まれかわるという。今日の夕食には、庭で取れた里芋を味付けて煮たが旨かった。まだ、ジャガイモ、からいもはそのままだが。

31日(晴)朝5時頃、眼が覚め、施設に居る妻の事を思っていると、涙が止まらなくなった。先日、一緒に見舞いに行った息子が、認知症ではないかと言ったことを考えていたのだろう。実父母も弟や姉も早く送った、91歳の車椅子の妻。昼から洗濯機で洗った下着類を室内で乾し、数字で温度があまり上がらない風呂釜の湯の出口蓋の検査のためネジを外したが、金属蓋の中のビニールの蓋は外れず、再度ネジを固定。その後湯を沸かしたところ、以前と同じ調子に良くなった不思議。夜は買ってきた蕎麦を食う。

 

 

チーコと私の卒業日誌(156)

11月2日、昨日、今日は台風のため、休養。金の為にロシアに売られた北朝鮮軍人、彼らの魂は何処にいくのか。

3日、施設の男の老人が施設を出たいがために、女の老人を殺したとのニュウスが気がかりで、詳しく調べたら、男が認知症だったと判った。2時から、庭仕事、庭北の草、竹生垣、竹林から伸びた根、筍など、6時まで。途中で、宮崎からの観光訪問者。

4日、昼過ぎ、赤い剪定ばさみが見つからず、4時頃からフェイジョアの実を二袋ほど収穫する。しばらくすれば、少しすっぱいが、梨に似て甘い。

5日、今日は、1時過ぎから、主に北畑の草取りをしたが、やはりマンションからのゴミが捨てられていた。北の方のガラス瓶や缶もあったが、以前,ベランダで飲んだビールの空き缶を捨てる中国人は引っ越して居ないので、真ん中辺のマスク2つも多分子供の仕業だろう。立札を建てたこともあったが、散髪屋のおばさんに云われて、投げ返すようにしている。自治会を作ってくれるようにいったが、どうやら機能していない。

6日、ユウチューブで、2021年に朝鮮南部のチョウソサン古墳の発掘調査が突然中止埋め戻されたという記事を見た。当時の日本政府ミナマの存在が裏図けられると見た、韓国政府の意向だろう。

7日、2時から6時まで、庭北の伸びかけた竹の根を掘り起こし、除草剤をかける。更に梯子を掛けて、北畑の樫の木の伸びた小枝を切る。途中で、北の池田農家の田を見ている中年の男を見かけたので、話かけて見ると、どうやら、建設会社の人間のようだ。また、マンションを建てるのか。濠のこっち側は農用地ではないので、制約はない。狭い道にまた車が増えるのか。

8日、3時~6時まで、北畑のマンション側に出た枝を切り、更に、付近に茂った大きな草を大鎌で掘りとり、帰りの堀端で松茸風のキノコ3本を発見。赤松の幹から2メートル位の場所だが、店の松茸のような逞しさがない。気を付けねば。

9日、昼飯に買った栗ご飯のオカズに、23日前に掘っておいた里芋を焚き、食べてみた。子芋は美味しかったが、親芋の方はがりがり。昔はほくほくして美味しかったが。さて、昼からは、量輝の樹、貝塚伊吹の剪定をするか。2時から、貝塚の剪定の後、北畑のナンキンハゼと源平ウツギとせんだんの樹を剪定。5時半に終わる。

11日、昼前、8日に見つけたキノコを試しに少し齧ってみたが、何ともないので安心。昼1時から作業。北畑の赤松の根本の草を刈り、北の楠に巻き付いた愛泉鬘を切って整理し、紫陽花の枝を堀端に挿し木して5時に終わる。

13日(水)、今年4月1日に直した下歯が、昨日食事中に又外れたので、スーパーで買い物後、昼前に近所の池田歯科に行って直して貰う。590円で感謝。夜、山の松林で松茸を採集する動画を見る。松茸の傘は丸く胴は太い。あの特有の香もするだろう。

14日、2時から、庭の伸びた竹木の枝を剪定。6時に終わる。植物と触れ合っていると、寂しさも忘れる。

15日、今日は。雨もよいなので、スーパーの弁当ばかりではと思い、久しぶりに北の本庄うなぎに行って、250円の鰻丼を食べる。

16日、曇、2時から近所の宍戸さんに柿を取って貰い、ついでに、フェイジョアの実も上げる。その後、高い所の柿を取るための竹竿を作り、フェイジョアの実を拾ったら、買い物袋一杯になった。いつか妹の所に持って行こう。その後、北の梅の樹の下の芙蓉の木を掘り取り、北畑に持って行き6時に終わる。明日は多分少雨。

18日、少し哲学的な話になるが、この世界は目に見えない様々な意識が始めにあり、物質の世界に命を与えているのではないか、という考えが浮かんできた。人間は男女の結合により、子を産むが、その生命は空間を漂う意識によって選ばれる。因果応報というが、前世の意識は後生に受け継がれる。好き嫌い、望み、性格など~。

19日、昼前、車で北イオンに行き、庄屋で栗ご飯と松茸、エビ等の天ぷらで昼食、買い物後、妹に電話すると、昼から地元の公民館での集会とのことで、積んでいた家の柿とフェイジョアの果物を持って行き、お返しもあってそのまま帰る。風があるが、2時過ぎ、森病院で薬を処方して貰い歩いて帰る。

20日、2時から5時半まで、庭北西の広がった竹林の整理剪定。

21日、3時から5時半まで、柿ちぎり他の作業。

23日、朝起きると膝の辺りが痛いが、しばらく我慢して歩いていると良くなる。これは誰でも年を取れば経験することで、車椅子に座ってしまえばそれまで。今日は寒いし風があるので、外の作業は中止。マカフィーの期限切れで、音の出ないパソコンでニュースを見るだけ。音楽は聞こえないが、文字は出るので静かでいい。

25日、午後2時から5時半まで、防風と二階からの目隠し用の北マンションとの境の椿と樫の樹。洗濯物が乾かないと思い、枝が高く向こうに突き出たものを剪定する。妻が嘉瀬の施設に入ってほぼ10年。現在妻と同じ91歳だが、昔からの植物相手の庭仕事をしていると、寂しさも紛れる。施設への妻の不満も無いようだし、後は、コロナでの面会禁止が解けるのを待つばかりだ。ブログも子供が見てくれているので心強い。

 

 

私とチーコの卒業日誌(155)

10月1日(曇)午後3時から、庭の畑と北畑の堀端の草むしりで5時半まで。多少疲れたが、明日は雨。岸田政権が終わり、新総理になった石破素人政権が誕生したが、衆議院選挙は今月終わりに。人気の高市候補は、自民党を見限って保守党に入るか。

4日(晴)午後2時からの森病院。時間前血圧を測定したところ、上が111.時間後にマイナンバーカードを入力。薬(2150円)を買い、歩いて帰る。午後3時半から竹生垣の整理と庭の草取りで6時半に終わる。

5日、曇、午後2時半から、裏の竹林の整理。4時半、雨が降って来たので中止。

6日、午前10時半、近くの八戸公民館に家の花を持って行き、敬老会に参加する11時から開会。ビールと酒を飲み、アンケートを書き、主に前会長や現監査と話をする。12時過ぎ、全員写真撮影の後、弁当を持って家に帰還。

7日、昼前から、北のイオンに行き、買い物と昼食後、妻とよく行った河畔公園で夕方まで。淋しさが身に染みる。帰ってポストを見ると、既に申請して、10万円支給通知の葉書が届いている給付金の申請を促す手紙。通帳を確認せねば。妻の扶養申告書も書かねば。

9日、午後2時半-6時。庭の入り口辺りの草を毟っていると、民生委員さんが来て、老人の健康調査。帰りに白に赤の蔦を上げ、更に庭の草を取る。

10日、午前10時過ぎ、芙蓉などの花を持ってどんぐりへ。妻は元気とのこと。介護夫の若い男とは気が合う。午後1時半から、北畑の植木の上から、マンションに入り込んだ藤の枝を切る作業や、付近の草の刈り取り、除草剤の散布などを行い、4時半に終わる。5時前、県の文化協会から電話あるも、19日の県文学表彰式の出席は断る。

11日、朝10時から、鋏を持って、家の周りを散歩をしながら、邪魔な竹や木の枝を切り、草を抜いているうち、手も振らず、笑顔も見せない千鶴子を、もうあまり気にしない、とにかく元気であればいいと思うようになった。

12日、午後3時から、庭の草取りの後、北畑のナンキンハゼを川端に植え替え、畑の草取りをして、サツマイモの茎を挿し穂して、6時に終わる。

14日、午後4時から、庭の通り道の芝生刈りと、中の草を抜き、暗くなったので台所から上がると丁度6時。妻の声がした気がしたが、それはドアを閉める時の音。仏壇に合掌し、風呂に入る。

15日、午後2時頃、自分の家、江藤新平の事、文学賞などについて考えていると、誰かに、自分の考えを聞いて貰いたく、園田君に電話したが、丁度趣味の会があってるよう。その後3時半に返電があって、文学賞の選考の結果を聞く。ただ、19日の表彰式の参加は作品も来ていないし、多分不参加。

16日、午後4時から6時まで、北溝の木の掘り取りと、北畑の草刈り。

20日(曇)、午後1時から、芝生の間の草を取り、竹生垣、くろがねもち等の伸びた枝を剪定、後、酔い芙蓉の小木2本を北畑に植え、5時に終わる。夏の一時あった膝の痛みもまるでない。ひと月に一回の医者の診断の時、体重が52キロで、痩せてていると云われたが、食欲は夏を過ぎた今でもあまりない。スーパーの弁当売り場に行っても、これはと思うような食べ物はないので、栄養のバランスを考え、魚や野菜を主体に買い、風呂に入った後、少量の葡萄酒を飲んで、夕飯を食べている。

21日、午後4時から6時まで、北畑の草を刈り、野ボタンを植える。

23日、韓国で関東震災当時に井戸に毒を投げ込んだとした朝鮮人虐殺事件で日本を訴える。かって鹿児島に併合した沖縄を我が領土と云う中國人。ウクライナ戦争でロシアに加勢する北朝鮮。厭なニュウスばかりだ。見ないようにしよう。

24日、午後2時、森林公園前の昔行っていた理髪店に行く。懐かしかった。3時から、北畑のグミと桑の実の枝を剪定して5時に終わる。

25日、曇、午後4時から6時まで、寝室の前の草を取る。

27日、午後3時から5時過ぎまで、庭入り口付近の蔦と草を取る

29日、朝10時過ぎ、ゴミ集積所の掃除の後、入り口付近の蔦を取っていたら、3人ばかりの昔の市役所職員が長崎街道見物、しばらく立ち話。4時前、次男から電話。来る12月20日に帰り、夜は古湯の温泉に泊まる予定。

30日、午後4時~6時まで、庭の丈高い草を取る。

31日、午後2時から5時半まで、庭の高草取り。

チーコと私の卒業日誌(154)

9月1日、テレグラムを作った創業者がフランスで逮捕され、ロシアの作戦能力に大きな影響を及ぼした。ウクライナのクルスク侵攻もロシア国内の厭戦気分を高め、ロシア=プーチンの立場を弱め、ロシアは国際的にも経済的に孤立している。

中國軍用機による沖縄領空侵犯。同じ頃の中国への国会議員連盟の親善訪問。中国への政治的対応を考え直すべきだ。

9月2日、ニュースやユーチュウブでウクライナ対ロシアのニュウスに変化はない。ロシアの女性歌手が、宮崎駿監督の映画「もののけ姫」の歌を歌っているのを聞き、なぜ伝わらないか涙。千鶴子はもう生きたいとは思って居ないのかも知れない。

9月4日、国は民族の対立から興り、差別と闘争を引き起こすが、文化は人の共感で広がり育ち、平和を支える。

6日、外はまだ暑いが、今日は昼から市役所に行き、マイナカードを受け取って来た。帰りに園田君の喫茶店に行ったが、休み(3時で閉めたとのこと)。長瀬町の辺りで、竹箒と弁当を買って帰り、園田君に電話する。何か血栓があるとか医者に云われたとのことだが、まだ若いし、話方は普通。文学賞の審査は大丈夫か。

7日、午後5時から7時まで庭の草刈り。

8日、午後1時過ぎ、園田君に電話したが、元気そうなので安心。午後5時から、北畑の蔦葛、庭の草などを取る。まだ,蚊はいくらか居る。

10日、夜8時前、夕食。昼の残りの弁当。残暑で食欲が無いので、風呂に入ってから食べる。電気に透き通るガラス窓、向こうに張り付いたヤモリが可愛い。今の悲惨な戦争も忘れる。物質の中で光は粒子か波紋かで決定的な意見が出ないのは、何故なのか。

12日、3時半頃、長男に問い合わせたが、携帯に掛かって来たドコモからの不具合発生予定メールに、返事が出来ないとの文言があったことを思い出し、買った所の近所のドコモに出かけて見せたところ、どこも悪い処は無いとのこと。明治期、福沢諭吉は社会、家庭、平和等、それまでの中國漢字にない言葉を作り、今では、中国人もこれらの新しい和製漢字を便利な日用語として使っている。中国人民共和国の漢字もそうだが。もうそろそろ、いかにも高級そうな、西洋劣等感の裏返しのカタカナは辞めるべきだ。医薬品等は皆訳の分からないカタカナだ。

13日、量子力学論はこれまでの科学の先を行く生命科学。人間の意識は、死後も続くという考え。西洋の先端思想家や、東洋の仏教思想(因縁果)が述べているが、なかなか面白い。今日は、毛布の洗濯物を干したが,収納する袋が破れているので、収納する場所を探すのに手間取った。4時過ぎ、無洗米をさっと洗い、おかずの買い物に。

20日、ずっと暑い日が続いたが、やっと、いくらか気温が下がったので、午後2時から表の竹生垣の整備をした後、庭の歩く道の草取りの作業と、ジャスミンの剪定をして6時半に終わる。明日は雨。

22日、9月ももうすぐ終わり、昨日、自治会長の奥さんの民生委員さんが10月6日の敬老会の出欠届(本来班長が回収する)を取りに来たので、宜しくと渡したが、その折、牡丹餅を貰った。いつかも梨を貰っていたので、4時前、家の花を持って行く。

24日、午後4時過ぎから、庭の芝生を覆う草などを刈り、7時半に終わる。

25日、パソコンでユーチュウブを見て、「ネトウヨ」と云う言葉に、何だろうと思い検索したら、ネット右翼という解釈があった。中国での日本人の子供殺人事件報道に対する反応だろうか。総裁選の行方も気になる。

26日、午後5時から暗くなる7時前まで、北畑の草の中の道を作る。

27日、自衛隊の護衛船が台湾海峡を通った。中国での日本人学校に通う子供殺人事件への中国政府のいい加減な対応は問題だった。今後は中國への甘い対応を見直すべきだ。自民党総裁選は石破。小差で2位が高市。さて、日本の針路はどうなるか。

29日(日)午後5時から、北畑の草を刈り、6時半に終わる。

30日、午後5時から、庭から堀までの草を刈り、6時半に終わる。

 

チーコと私の卒業日誌(153)

8月2日、パリでのオリンピックのユウチュウブ写真を見ていたら、何の競技かは判らなかったが、金銀銅3人の優勝者の前で銅メタルを見せる韓国人が映って居て、笑ってしまった。その後、知名度ビリの佐賀県の地図で、烏賊刺身の唐津、田んぼの中の佐賀国際空港、焼き物の有田、伊万里卑弥呼の里の吉野ケ里、福岡県人に近い鳥栖、基山などの紹介があり、これも笑ってしまった。順番つける事が好きな人間。今日も暑い。

3日、午後4時から、北溝のナンキンハゼの太い根を鋸で切って動かそうとしたが、だ駄目。庭の丈の高い草を抜く。後、日照りで乾いた小木に水を遣って6時に終わる。

5日、朝9時、花鋏で表の竹生垣の整理をする。午後3時~4時急な雷雨で洗濯物を取り込む。久しぶりの雨。夏の暑さで食欲がないが、必要量は確保。きき

7日、昼過ぎ、どんぐりに保険証を持って行く。その折、記念病院でのこれまでの経だだ過、妻への手紙、写真などを託す。妻は風呂で会えず。

9日、それほど暑くないので、3時半から、表の方は出た分を先に花鋏で刈っておき、気に懸っていた竹生垣の裏をバリカンで刈る。後、入口の辺りを刈り、どうにか仕上げたが、あまり食事をとってないためか、汗でぐっしょり濡れ、疲れた。6時に終わる。

13日(火)午後5時、お盆で妹の家に帰宅した姪の雅子が来宅。昔の写真などを見せ、先祖の話などをする。母の作品(運命)について、感想を聞いたところ、「多情」と云って笑う。久子と同じ意見だ。異性に対しての「優しさ」や「思いやり」は、つまりは「多情」になるのだろうか。父の日記によれば、日清戦争から負傷帰還後、大分の病院に入院、治療後、大分県庁に勤めていた兄が若くして亡くなり、可哀そうに思った弟=父と再婚した一児の母。母が書き残した運命には、苦難の続きが在る。

16日、ロシアクルスク州に侵攻したウクライナ軍が勢力を広めている。この戦争、絶対ロシアに勝たせてはいけない。今日は雲が多いので、朝、草刈りしていると、10万円の支給通知葉書が届く。何か市民税の多寡に関係するようだが、申請していたもの。又、トタン屋根は10万円掛かったが、これも、全国都市職員火災保険から14万円ほど補助がきている。

17日(土)、夜寝てから、誰か呼ぶ声で目を覚まし、電気をつけ、入口まで行ってみるが誰もいない。千鶴子の事が気になる。

18日(日)、昨日のことが気になり、5時過ぎ、まだ暗い外に出て、何もない家の周りを見てみる。

19日、パリ五輪で、メダルを得た若い日本卓球選手(早田ひな)が、鹿児島の特攻平和記念館を訪れたいと発言したところ、韓国、中国から戦争賛美だとの非難発言が相次いでいるそうだ。全く的外れな暴言だ。卓球をする自分と同じ年齢だった若い人が、国の為に命を投げ捨てた気持ちを考え、平和な時代に生きる自分を見つめ直したい、との発言だったろうに。

5時から庭仕事。紫陽花の剪定、竹生垣裏の先日の切りくずを片付け7時半に終わる。今日の晩から雨が降りそう。

22日、今日は、妻の施設に庭の百日紅の花を持って行こうと思っていたが、手も振らず、笑顔も見せない妻の顔(熱中症脳梗塞で一緒に記念病院に入院していた私達の半年の記憶が、何故自分だけと、そんな気持ちにさせるのか)にまた負の気分になるのではないかと思ってしまい、とうとう行かないまま、一日が終わってしまった。

23日、午後4時~5時頃、盆に来なかった妹に電話。昔の母や父の生活の様子などを聞く。私が知らなかった家庭不和もあり、東京在中は苦労をかけたことを詫びる。

24日(土)、百日紅の花を施設に持って行き、その後、北のスーパーで昼飯、買い物をして帰る時、公園北で一時停止せず、罰金7千円。ああ,良いこと無い。ここは、以前から通っていた場所で、一時停止の表示が最近設置されたことは知らなかった。

25日(日)、午後4時から7時まで、竹生垣の表を剪定。現在、クルスクに侵攻したウクラエル軍は、先進的な武器で、前時代的なロシア軍を分裂圧倒しているようだ。

28日、小雨、今度の台風は、東風が強そうなので、枯れ枝を切り、後は,寝室の雨戸を閉める予定。息子二人から心配電話。

29日、朝からの北東の風は,次第に強い北風になり、ついで、強い北西の風となって竹林をなぎ倒す。雨は後から降ってきた。台風は何事も無く去って行った。何もすることが無いので、ユーチュウブで昔、子供達に誘われ、妻と一緒に行った上高地大正池から歩いた河童橋を見る。懐かしかった。

30日、台風が過ぎた午後4時、八戸南の民生委員さんが梨を持ってきてくれた。昨夜電話をしたと云う。明日、雨が止んだら、百日紅の花を持っていこう。 

ウクライナのクルスク原子力発電所への侵攻は、ロシアの核の脅しへの対抗か。だとしたら、核を持たない国の、核保有国への牽制にも成りうるのだ。

 

チーコと私の卒業日誌(152)

7月1日、ユウチュウブ。中国では、ダムの水を放流する時も下流の住民に知らせていないらしい。今日、下流で魚の養殖をする男が洪水の中で踊り祈っている姿を映していた。下水道の施設も無い町。無人の空きビルの町、川となった道を流れるEⅤ電気自動車。梅雨のシナ中国。九州では、久留米、田主丸は大変だろうが、八戸あたりはまだ深い堀はあるし、大雨の前は川への樋門を農家が開く。

3日、パソコンで、漢字の同音異語。例えば、危険≠棄権、関心≠感心、記事≠生地、靖国≠安国、死者≠支社、真摯≠紳士など、全く違う意味の言葉をそのまま平気で使っているユーチューブ等を見ると腹が立つ。直す時間も惜しいのだろうか。それにしても、筑豊のあたりの太陽光発電パネルは、昔からの山林を伐ってしまった。周りの家の水害のことなど考えなかったのだろうか。

6日、セキュリティクリアランスという言葉を、高市早苗議員が発言しているという。日本人に帰化したことを隠して、日本の政治に携わっている外国人議員に対する懸念だろう。御来光を見るため、富士登山をする外国人も多い。帰化の手続きをしただけで、本当の日本人になれるだろうか。

13日、中国は、日本の福島処理水放出に反対の立場だが、自国モンゴル地区の露天掘りでの雷雨喘息。家屋のセメントの放射能数値についても、核汚染だと認めることもない。尖閣諸島、東、南シナ海への海洋進出も。もう、その経済破綻が迫っている。

14日、雨、米ペンシルバニア州で演説していたトランプ前大統領が、銃弾を受けて耳から血を流しながらも、警護員に囲まれた演壇で、拳を振り上げるトランプ氏の姿は印象的だった。犯人は、20歳の地元アメリカ人とのニュースだが、別の報道では、中国人だったとも云われている。過去、ケネディ大統領の事件にしても、日本の阿部首相にしても、政治が絡む事件の真相確定は難しい。

家庭教師サンへの伝言 どの子どもにも個性があり、その個性を良い方向に伸ばしてやるのが、教育だと思います。 

16日、日本の阿部さんと仲が良かったトランプ。移民に関する幕張を見ようと傾けた頭の右側を凶弾が掠めていた。右耳の上部からは血が流れたが、何という強運。アメリカの神が助けたとしか思えない。

18日、アメリカの政治に関わる勢力として、ディープステイトという言葉をよく聞くが、今回のトランプ前大統領の狙撃事件には、わずか20歳の犯行、講演場での警備体制などから、背後に、隠れた或る勢力が関係しているのではないかと疑う報道もある。それにしても、中国のバブル崩壊による人民元後退などを見ていると、国力を保証するのは、歴史や文化ではなく、最後は経済(株、信用)ではないかとも思われる。

19日(金)、晴、朝、10時、川副町の三福海苔(株)に行き、茨城に送る(風邪見舞)。着くのは日曜日になるとのこと。スーパーで買い物、家で洗濯など。

20日、午前10時、八戸南公民館で七夕まつりに、はまボウの花を持って行く。自治会長の奥さんが持ってきた竹葉につける飾りの色紙を鋏で造り、後、子供が割った西瓜を食べる。コーヒーを飲みながら、前自治会長(94歳、奥さんは昼間介護施設に)と昔話。参加者約30名、後はみんなの写真撮影で解散。

23日、ウクライナによるロシア国内の軍需施設、石油施設への破壊が進み、ロシアの武器、兵力もかなり消耗しているようだ。この戦争、来年まで続くだろうか。

24日、ゴミ捨てるあんたもやっぱりゴミですね。家の昔の田に、今度は水路から突き出したナンキンハゼの太枝を切って運び入れてある。全く。以前、こっちに投げ入れた空き缶、ビニール、新聞紙、壊れた傘などを投げて返してやったが、又。ルールを守らない奴。学ぼうともしない奴。自治会を作れと云ったのに、無理なのか。

回覧板で回って来た七夕会の写真をメールで子供達に送る。3時~6時、人が通る所だけの草刈り。熱中症予防については、割と日陰の所が多かったので、陽ざしもそんなに熱くなかったし、汗も出て気分もよかった。風呂から飯。日が暮れてから、茨城の次男夫婦、子供から電話。17日の風邪も大した事も無く元気。

26日、中国の台湾侵攻については、中台双方とも、軍事訓練を行っているようだが、11月のアメリカ選挙など、世界の関心が他に向けられている時などが考えられる。米軍基地のある沖縄などは気をつけるべきだ。ピジャブを被ったまま日本の歌を歌うインドネシアの歌手が今ユーチューブで評判だそうだ。平和はいいな。

29日、中国の農村でのユウチュウブ。道端に座っている幼い女の子を可哀そうに思った通りがかりの若い娘が、近くを訊ね歩き、やっと親の家を探し当てるが、そこに居るのアルコール中毒の男だけ。男は警察に捕まり、幼子は娘の養女になる。話の中、空き缶やビニール瓶を店に買って貰う箇所もあるが、これも、今の農村の現実だろうか。