チーコと私の卒業日誌(185)

12月2日、今日は下着の洗濯はしたが、寒いので庭仕事は無し。

4日、朝、1か月にほぼ1回の八戸の回覧板に、先月26日のお茶会の写真もそえられていた。半分はスポーツ関係で、全般として女性が多い。伝言ゲームや抽選などがあり、お達者クラブの講演などもあった。午後から、以前から気にかかっていた北畑の堀に突き出た松に取り掛かる。根本から切ることは出来ないので、干上がった堀土面から梯子を掛け、混みあった枝を切り、どうにか形を整え、5時に終わる。

8日、昼から、山茶花佐賀市の花)と八朔(妻の好きな蜜柑)を持って、施設に行く。介護婦は喜んでくれた。妻の前歯はないので、八朔はジュースにするとのこと。

9日、午後2時から、北庭の大きいつつじの木の剪定後、北畑の堀上に広がった松の木がこれ以上広がらないように、枝先を高枝鋏で切り、5時に終わる。

10日、昼から、竹生垣の表の剪定。前家の犬も居ないし、風も無く、順調に2時間ほどで済んだ。その後、北溝の子笹を切り、槙の途長枝を剪定して5時に終わる。

17日、家に居ても寒い。暖房費も無駄なのでスーパーに買い物に行く。風呂を沸かし、夕食の前後に2回入る。戦争が終わらない。中国には中華中心思想があると同様、ロシアにも昔からの独特な伝統があるのだろう。それにイスラムとキリストの軋轢。もうそろそろ目が覚めてもいいのではないか。

20日、昼前、県立図書館で寄贈図書などを調べ、県芸術文化協会への回答手紙を郵便局で出し、県庁屋上階のレストランで昼食。その後、高木瀬の妹の見舞いに寄るが、至って元気。コーヒーを飲み、母の小説、世界情勢などの話で盛り上がる。

22日(金)、今日は朝から大雪。午後3時過ぎ、積雪も消えたので、近くの元自治会長に声をかけて「寓話」を送呈し、歩いて森病院に行く。

24日、昼過ぎ、車で帰って来た茨城の次男一家と近所の中村屋で食事。その後、次男一家は唐津へ。

25日、昼、4人、近所の食堂へ。その後、妻の見舞い。家に帰ってきて子供とボール遊びの後、厚情を暖めて車で帰る。