2010-01-01から1年間の記事一覧
何やら、いやに狭い所で眠っている様な気がしていたが――眼が覚めてみると、死んだ蛇のよう なへんにしらじらしい光が枕元に漂っていて、私の寝かされている部屋の模様をぼんやりと見せて いた。 (しかし、まあなんと奇体に狭い部屋だ)人が一人、やっと坐る…
判りにくい地図である。斜めに差しこんだ月の淡い光では、只さえ読みづらい走り書きの文字は ちらちら動いて眼が疲れ、点々と紙の上に浮び上ってくる数々の記号も、その間を走るかすれた幾 本もの線からも、その意味するところを判断するためには困惑を与え…
激しい西日である。 眼に映ろものはすべて――うねうねとつながる岡の起伏も、ゆっくりと汽車が行く遠くの白い橋 も、木立の間、見え隠れ点在する藁葺屋根、波うつ麦の重い穂先までが――今は一様にあかあかと した色どりの中に燃えているその輝き、その眩い残照…
いったい、どの位の月日が経ったであろうか。おまえは時間の観念をすっかりなくしてしまって いたので、全く見当をつけることが出来なかったが……。 ――その日は、朝から妙に暑苦しく、おまえは檻の奥の日陰になったところで、冷えびえする壁 に体を寄せ、舌を…
――生きるということがどのように行われるか――もし誰かがおまえにそう尋ねて見る気を起し たとしたら、おまえはその時こそきっぱりと答えるだろう。そうだ、生きるということは順応して いくことなんだ。 もちろん、おまえがこのようにきっぱりと自分の考えを…
なにがどうなのかさっぱり分らない。まわりは真の闇、一寸先も見えない。完全な網膜像の喪失 ――第一自分がどんな形をしているやら、手をもっているのやら、足がついているのやら、それす ら感じられない。まわりには息苦しい闇が一杯だ。一体どっちが下だろ…
公園で桜が咲いている。近くで見る花弁は綺麗だが、離れると、桜は全体としてくすんだ灰色の布に見える。うす桃色の斑が広がって見えるのは遠くの山の桜だ。公園の桜の木の下に座り、春がすみが漂う景色を見ていると、なんだか頭もぼんやりしてくる。 向こう…
長い時間眠っていたような気がする。気がつくと、なにかあたりの様子がおかしい。おれは高い台座の上に座っていて、すぐ脇の階段を絶え間なく人が行き来している。後ろでは、ひっきりなしに、がらんがらんと大きな鈴の音がして、落ち着かない。 いったいおれ…
あちこちから小さな水音が聞こえる。集まってくる音は、澄んだちょろちょろいう音のほかに、遠い地鳴りのようなごんごんいう低い音もある。丸い天井に覆われた洞の中は、清れつな水に浸されているようだ。ここは外界から遮断された世界なので、外の音は一切…
その男に出会ったのは、山のほのぐらい木立の中。小さな流れに架かる橋の上。下から澄んだ水音が立ち上っていて、ぼくらは、橋の途中で互いに目を見交わした。男は赤い帽子を被っていて、どこか懐かしい。いつかどこかで、会ったような毛深い顔だつた。 ーこ…
金色の蛇が低い木に巻きついている。このマングローブの森には背の低いヒルギ科の植物が広がっていて、干潮時の湿った地面には蟹やトビハゼが這っているが、蛇がいるのは珍しい。それも黄金色の蛇だ。なにかの餌を獲りに来て満ち潮で帰れなくなったのだろう…