2010-01-01から1年間の記事一覧

物体(3)

何やら、いやに狭い所で眠っている様な気がしていたが――眼が覚めてみると、死んだ蛇のよう なへんにしらじらしい光が枕元に漂っていて、私の寝かされている部屋の模様をぼんやりと見せて いた。 (しかし、まあなんと奇体に狭い部屋だ)人が一人、やっと坐る…

物体(2)

判りにくい地図である。斜めに差しこんだ月の淡い光では、只さえ読みづらい走り書きの文字は ちらちら動いて眼が疲れ、点々と紙の上に浮び上ってくる数々の記号も、その間を走るかすれた幾 本もの線からも、その意味するところを判断するためには困惑を与え…

物体(1)

激しい西日である。 眼に映ろものはすべて――うねうねとつながる岡の起伏も、ゆっくりと汽車が行く遠くの白い橋 も、木立の間、見え隠れ点在する藁葺屋根、波うつ麦の重い穂先までが――今は一様にあかあかと した色どりの中に燃えているその輝き、その眩い残照…

獣の眼(下)

いったい、どの位の月日が経ったであろうか。おまえは時間の観念をすっかりなくしてしまって いたので、全く見当をつけることが出来なかったが……。 ――その日は、朝から妙に暑苦しく、おまえは檻の奥の日陰になったところで、冷えびえする壁 に体を寄せ、舌を…

獣の眼(中)

――生きるということがどのように行われるか――もし誰かがおまえにそう尋ねて見る気を起し たとしたら、おまえはその時こそきっぱりと答えるだろう。そうだ、生きるということは順応して いくことなんだ。 もちろん、おまえがこのようにきっぱりと自分の考えを…

獣の眼(上)

なにがどうなのかさっぱり分らない。まわりは真の闇、一寸先も見えない。完全な網膜像の喪失 ――第一自分がどんな形をしているやら、手をもっているのやら、足がついているのやら、それす ら感じられない。まわりには息苦しい闇が一杯だ。一体どっちが下だろ…

山桜(100)

公園で桜が咲いている。近くで見る花弁は綺麗だが、離れると、桜は全体としてくすんだ灰色の布に見える。うす桃色の斑が広がって見えるのは遠くの山の桜だ。公園の桜の木の下に座り、春がすみが漂う景色を見ていると、なんだか頭もぼんやりしてくる。 向こう…

グリフィン(99)

長い時間眠っていたような気がする。気がつくと、なにかあたりの様子がおかしい。おれは高い台座の上に座っていて、すぐ脇の階段を絶え間なく人が行き来している。後ろでは、ひっきりなしに、がらんがらんと大きな鈴の音がして、落ち着かない。 いったいおれ…

岩神(98)

あちこちから小さな水音が聞こえる。集まってくる音は、澄んだちょろちょろいう音のほかに、遠い地鳴りのようなごんごんいう低い音もある。丸い天井に覆われた洞の中は、清れつな水に浸されているようだ。ここは外界から遮断された世界なので、外の音は一切…

山風(97)

その男に出会ったのは、山のほのぐらい木立の中。小さな流れに架かる橋の上。下から澄んだ水音が立ち上っていて、ぼくらは、橋の途中で互いに目を見交わした。男は赤い帽子を被っていて、どこか懐かしい。いつかどこかで、会ったような毛深い顔だつた。 ーこ…

金色の蛇(96)

金色の蛇が低い木に巻きついている。このマングローブの森には背の低いヒルギ科の植物が広がっていて、干潮時の湿った地面には蟹やトビハゼが這っているが、蛇がいるのは珍しい。それも黄金色の蛇だ。なにかの餌を獲りに来て満ち潮で帰れなくなったのだろう…