幽霊(14)

「で、幽霊が出るというのは、どこ?」
 友人とともに、迷路のように階段が入り組んだ喫茶店の中三階に陣取ると、さっそく私は聞いた。
「ほら、あそこの席だよ」
 彼は下の二階の隅を指し示した。
 音楽喫茶というコーヒー店が商売として成り立っていた時代のことである。
 照明を落してあるので、その壁ぎわの一角はことにうす暗かった。折しも梅雨の季節で、その日も朝からこぬか雨が降り続いている。
「もうそろそろだな」
 友が呟く。私も何度か入口の方に眼をやるが、入口そのものはここからは死角になって見えない。
「そら来た」 
 例の席に現れたのは、十九世紀風の帽子をかぶった中年の男女。男はシルクハット。女のかぶった幅広い帽子のひさしから滴がたれているが、脱ぐ様子はない。
 男女は向き合ってコーヒーを飲んでいる。黙ったままで、お互い何か特別な話があるようでもない。
「まるで昔のアメリカ映画だな」と私。 
「幽霊の『慕情』か‥‥」
 クラシック音楽が鳴っている。曲目はベートーベンの「田園」。
「いつ聴いてもいいねえ。この曲は」
 友が声をひそめる。
「どうせ聴くなら、僕はヴィバルディの『四季』のほうが、やっぱりいいな‥‥」
 音楽の話をしているうちに、幽霊はいつの間にか消えていた。
 外に出ると、近くの花壇に青いばらが二輪、雨に濡れて咲いている。
「ほら、この薔薇‥‥なんとなく、しっとりしたさっきの二人を思わせないか」
 私が言った。