2008-01-01から1年間の記事一覧

巨石(84)

街から五キロほど山手に行った所に、巨石パークという名前の場所がある。パークとは云っても、実は、三百五十メートルほどの低い山である。ひと頃の村起し町起しの機運に乗って、テーマパークとして整備され、入口に大きな標示看板まであるが、もともとは、…

芋(83)

水槽の中では、小さな亀が手足をばたばたさせている。大体水が多すぎるのだ。 ああ、忙しい、忙しい。これから懇親会だ。 私は旅館の部屋で、洋服を脱ぎ、浴衣に着替えようとしているのだが、この浴衣、糊ではがれ難いし、帯は短か過ぎる。ああ、着くのが遅…

凧(82)

それは今でも、壊れかかった農家の納屋の土壁などに架かっているのを、ときたま見かける。 材料は紙と竹と糸。斜めに組み合わせた二本の細い竹の先を糸でぐるりと囲み、太陽や動物や人間の顔を描いた障子紙を張ったものだが、その紙も大抵破れてしまっている…

夕焼け(81)

その子供は、机の前に坐ってぼんやりしている。あたりの空気は固まっていて、後ろから近づいて声を掛けるが、どこか遠い世界に出掛けてでもいるように動かない。やがて、その子の肩の肉がぴくりと震え、振り向いた顔は涙に濡れている。 「どうしたの。また虐…

金から人へ(80)

この度のサブプライムローンの破綻に端を発するアメリカのバブル崩壊は、金本位で動く経済のはかなさをはからずも露呈した。 低所得者向けの住宅ローンを金融証券に組み込んで売り出したリーマンブラザーズは、住宅ローンの返済が滞り、住宅の値上がりも見込…

君は知らない(79)

この世界にあるものは、目に見えるものばかりではないんだよ。耳をとぎすまして聞いてごらん。風の音や、水が波立つ音。鳥の声。薔薇が花開く音、地面の中で蠢く幼虫のささやきまで。君はすべてを聞き分けているわけではない。みんなを知っているわけではな…

井戸(78)

城壁の上で、刀を持った男に追っかけられている夢を見ていた。怖い夢だった。夢の中でしきりに誰かが呼んでいた。 戸口から洩れてくる冷たい光に、外を覗くと、昼のような月明かりがさわさわと庭に溢れ、高い桐の梢もぼんやり霞んでいる。 まだ、夢を見てい…

気泡(77)

バスの中は男女の小学生でいっぱいだ。携帯の画面を見ながら騒いでいる子もいれば、黙って漫画を見ている子もいる。帽子の取合いをしている子もいる。通路の間を走り回る子もいる。 「静かにしろ」 引率の先生が叫ぶ。 ここの椅子は硬くて、長く座っていると…

愛国心の行方(76)

愛国ーという言葉が今の中国政治の旗印になっているようだ。北京オリンピックを成功させ、大国としての誇り、一つの中国を実証するための国家政策だろう。 中国は、国内に五十五という少数民族を抱え、さらに台湾問題なども抱えている。常々漢族から差別され…

あやかしの森(75)

オレンジ色の壁には、クリムトの絵‥‥仰向いた女の顔が懸かっていて、喫茶店の閉じたガラス窓の内側で、ディスクの音楽は嫋嫋と鳴り渡っていた。 昔はレコードだった音楽も、今はすべてがCDに変っている。CD‥‥コンパクトディスクは、レーザー光線を樹脂製…

梟(74)

ビルの屋上から下を見ていた。 林立するビルの間を、連なった車がのろのろ動いている。空はもう灰色に暮れかけているが、私は今日も会社に居残りだ。 この一年ばかり仕事が忙しい。毎日十時まで残業して、終電に乗って家に帰る。十一時に風呂に入り、晩飯を…

子犬(73)

いったいここはどこなのだろう。会議室、控え室、ホール‥‥‥さっきから同じようなところをぐるぐる回っているだけで、面接室がどこなのか、さっぱり分らない。狭い廊下に赤い絨毯が敷いてあるので、多分、同じ建物の中とは思うが‥‥‥。 薄暗い照明に照らし出さ…

電鉄みどり号(72)

とにかく忙しい日々だった。そこは四方の山々に、白い崖が切り立つ新開地。 ある朝のこと寝坊して、駅の改札口から電車に飛び乗った。 慌てて駆け込んで、はて、入口を間違えたか。青天井の車内はさんさんと降る日光。緑したたる若葉の間を爽やかな風吹き抜…

食う(71)

食う、食う。朝飯を食う。朝はパンを焼き、バターやジャムをつけて牛乳で食う。食う、食う、昼はカレーを食う。炊飯器で米を炊き、鍋で玉葱を炒め、じゃがいも、にんじん、牛肉を煮込んだものに、インスタントのルウを加え、飯にかけて。食う食う、晩は、魚…

愛国歯車(70)

テレビの画面で男が話している。遠い国の首相が、手振り身振りをまじえ、懸命に演説している。私は腹ばいになったまま、それを聞いている。 この世界では、金本位主義が蔓延して、物を売る市場を広げようとする者たちであふれている。自分の欲望のために、地…

神聖文字(69)

世界各地に伝わる天地創造神話、人類誕生神話、英雄伝説。神話や伝説はどのようにして生まれ、伝えられたのだろうか。また、各地の民族集団によって異なる話がどのように統合されたか。 それは、文化の固定化を促す文字が発見される以前の口承時代のことだろ…

影(68)

いつも私の隣に並んでいる。影は無口な仲間。陽射しが強いので、私は帽子を斜めにかぶり、眉をひそめてむっつりしている。影のほうはのんびりゆったり、白い塀に寄りかかりいかにも涼しげだ。 売り物の品を足元に並べているので、私は時折大声を張り上げる。…

詩の付き合い(67)

詩人の弥冨栄恒さんが亡くなった。昔の「はんぎい」という同人雑誌の仲間でもあるが、それ以上に、優れた短詩を書く詩人として敬愛していた先輩でもあった。 友人の池田君から連絡があって、葬儀に出席した。葬儀の参列者は、地区の長寿会、故人の勤めの関係…

自転車に乗って(66)

堤防は一面の菜の花。たちこめる菜の花の幸せの匂い。黄色い菜の花の中でペダルを踏んでいる。自転車のろのろ、ふらふら。別に用事があるわけではないから、のたくるように進んでいる。堤防の道を漕いでいる。 「菜の花や、月は東に、日は西に」なんて。 こ…

煙(65)

家族が囲む食卓でもし湯気が立っていなかったら、食事は寂しいものだろう。暮れかかる山里で落ち葉や草木を焼く煙が見えなかったら、そこには人が誰も住んでいないと思うだろう。煙はいつから公害と呼ばれるようになったのか。 近年、ゴミの中に、プラスチッ…

花(64)

小屋の戸をがらり開けると、外は白い霧。 どこまでも続く霧の中に、ああきれいなこと。無数の蛍が飛び交っている。青い螢、赤い螢、小さな螢、大きな螢。まるで飛んでいる無数の魂のよう。 あれは幸福な魂。あれは悲しみの魂。笑っている魂。苦しんだ魂。欲…

水妖(63)

ーあれは何処だったのだろう。ひょっとして、あれは夢の中の風景だったのか。あの景色がパズルのように、すっぽりと心の奥に納まった時から世界は虚しくなり、わたしの心は、ずっとあの風景ー暗い樹影を落した静かな沼の岸辺に、囚人のように繋がれている。 …

小さな人間(62)

こけた頬、くすんだ暗い顔から、窪んだ眼が疑い深そうにこちらを見ている。 「君があの時の‥‥」 「そうです。転校してきたばかりでした」 「いや、悪かった。あの頃は時代も時代だったし‥‥私も若かった」 「それにしても殴ることはなかった」 私たちは校舎の…