2007-01-01から1年間の記事一覧

ねこ先生(61)

私がいつも行く公園のベンチに腰を下ろした時だった。 「おい、そこを退いて呉れないか」 突然、傍で声がした。 「せっかくのあったかい陽ざしがおまえの影で台なしじゃ」 私の横に、仰向けに寝そべっている薄茶色の猫が、ぐるりと動いてこっちを見た。こい…

記憶(60)

記憶 ぶんぶんぶん。蜂がぶんぶん頭の周りを飛び回る。母の昔話は西遊記だったか、それとも七つの海を越える王子の話だったか、私はいつか眠りこけていた。ああぶんぶん蜂がぶんぶん頭の周りを飛び回る。いったい母はどこだろう。いつか金色の蜂は容赦なく髪…

虫(59)

いったい、なんて書いてあるのだろう。何度もくりかえし読んでいるのだが、よく文意がつかめない。いや、ひとつひとつのひらがな文字があまりに個性的に過ぎて読めないのだ。いったいこの人は小学校でまともな国語の勉強をしたのだろうか。それにしても、何…

最終処分場(58)

見渡すかぎりの視界にテレビや洗濯機、冷蔵庫が転がっている。ここは、ごみの最終処分場。少しの風にもビニールや新聞紙が捲れ上がる。暗い空。ごみの山の上を舞う無数の黒いからす。そのつんざくような鳴き声。 ごみの山は先の堤防まで連なっていて、そのす…

本の山(57)

本というのはどうしてこんなに増えるのだろう。日本近代文学大系や、西洋文学全集などの全集ものは別として、時たま立ち寄る書店や古本屋で、買い求めた書籍がもう書棚に納まりきらず、机の回りに山積みになっている。ほとんどがすでに読み終えたもので、処…

部屋(56)

ひけしぼう男が部屋で這いつくばって本を読んでいると、不意に玄関で咳払いがして、背広姿の親戚がやってきた。なにやら手みやげを差し出し、お元気のようでと言うのでまあぼつぼつでと応え、あとは黙っていた。 どうせこんどの選挙のことだろうと、思っては…

楠若葉(55)

ここは小学校の裏門。私はウオーキングに疲れて、学校の敷地から差し掛けた大きな楠の樹の影に座っている。 さっきから涼しい風が吹いている。と思ったら、誰かが樹をゆすっていた。楠の若葉が揺れ、高い所から子供の顔が出た。赤いほっぺたがふくらんで、は…

死の島(54)

暗い空の下、糸杉の林を囲んで、そそり立つ岩の島。鏡のような水面をすべるように、死者の棺を乗せた一隻の小舟が島の門に近づいていく。神々しい感じもするが、この絵を支配しているのはほとんど絶対に近い静寂の気配である。 スイス生まれのアーノルド、ベ…

水車小屋(53)

ここは、空の滴が山々の生命を運んで集まるところ。その地上の一点にこびり着いたように建てられた小屋が見える。何かを探すようにさまよっていた白く沸き立つ雲の峰が、問いを投げかけた。 ーこの水車小屋に住むのは誰? あれになにか、異なる精神を感じる。…

星のかけら(52)

気がつくと一人ぼっちになっていた。あたりが急に暗くなり、不意に、だれかがぼくを突き飛ばし、ぼくは坂道を転がってどぶに落ちた。 どぶの中には、空き缶ガラスびんビニールごみや魚の死がい。どこからか声がする。ーこっちにきてーわたしをあたためて。み…

喫茶コギト(51)

若いころから、通っていたクラシック喫茶店「コギト」が閉店した。残念なことだ。コギトは昭和五十年白山の近代酒房ビルに開店した。気のおけない素人はだしの店で、開店当座から日課のように通いつめていたのだが、勤めを辞めてからは足が自然に遠のき、最…