チーコと私の卒業日誌(187)

2月1日、曇、今日は久しぶりの遠出。昔、妻とよく行った多久の西渓公園で、折よくぢぃ咲いていた赤梅の写真や、滝口泰彦の記念碑の写真も撮ってきた。昔懐かしい「城」同人。もう、あの当時の仲間たちはもう墓の下だろう。

4日、今、欧州では、ウクライナでの戦争による電価高騰で、ドイツの農民が困っているそうだ。今年になってから、日本では、能登半島での地震などがあり、あの北朝鮮かあめりから、電報が届いたということだが、その意図は何か。この3月はロシアの大統領選。4月は韓国での選挙で、ユン大統領の存否が問われる。また、台湾の国家承認に向けては、11月のアメリカ大統領選挙が問題。今年はどんな年になるのか。

昼から、北畑の堀に倒れた松の先枝は切ったが、手前の大枝を切れず、切込みを入れたままロープに繋ぐ。明日は雨。

8日、午後5時前、どんぐりからの電話で、病院の検査で、妻がコロナに感染していることが分かったと言う。「施設は面会禁止なのに、どうして」と訊きなおしたが、原因は判らない。病院の方に入院はせず、施設にそのままとのことだが、症状は軽いとのことで、安心はしているが、やはり面会は禁止とのことだ。明日か明後日また電話して全体の様子を聞くつもり。晩、その旨長男、次男に電話で伝える。

9日、昼過ぎ、どんぐりに自宅の水仙や椿、梅などを2便(居間と妻の部屋用)持って行く。どんぐりのコロナ患者は妻の他6人だが、すべて軽症とのこと。職員に、頑張ってと声を掛けて帰る。

12日、午後1時から、スーパーで食料品の買い物後、北畑で切った松の枝の整理後、台所の生ゴミを畑のイチジクの根本に埋める。

13日、昼から、北畑から堀に突き出たナンキンハゼの大枝を切った後、ユズリハの子木を掘り、宅地の南西の濠際に植え、剪定したハマボウの枝を堀際に挿し木する。

14日、小雨。昼から、背振まで水汲みに行ったが、店が休み。折角と思い、福岡まで。ところが、前行った場所が判らず、別の店でトンネルの水を入れてもらったので、お礼にポンカンを買って帰った。帰りの店(鶴屋)で昼飯を食べ、漬物を買って帰る。

17日、午前中、支柱が壊れた郵便受を入り口の黒松に打ち付け、昼から、北畑からマンション側にはみ出した植木を剪定。明後日雨の予想なので、椿や百日紅などの小木を植え、5時に終わる。

21日、雨、ユーチュウブで、2月9日に行われた、プーチン大統領と米メディアのfoxを首になったタッカーカールソンとの対話を見た。大統領は冷静に、長い時間、ロシアの歴史を語り、過去、nato加入への申し込みを断られたこと、ウクライナとの停戦協議にも応じていることにも言及した。もともとロシアはキリスト教ギリシャ正教の国。プロテスタント国家アメリカとも仲良くできる国ではなかろうか。戦争で潤うのは武器商人と株屋だけだ。アメリカには、プーチンと話し合える大統領が望ましい。

25日、晴、昼から、南西の柿の樹、隣にはみ出た枝を切り、ついでに、入り口のザクロの樹の枝を整え、4時に終える。今日は風が強い。cnnの報道では、ロシアの国庫は西側の制裁にも拘らず、戦争前の13倍とか。ロシア原油の抜け道が原因らしい。

28日、午後3時から、渋柿の根本に密生した椿の小木をマンションとの境に植えるなど、少し寒い庭仕事。暮れて風呂に入り、夕飯を食べ、また、ユウチュウブで、山田五郎の絵の解説を見るが、今日はルソーで面白い。ジャングルの葉と色彩が綺麗だ。