リズムー論考B(28)

 勤めている頃は朝起きるのが辛かった。意にそまない仕事に一日の時間を取られるのは苦痛だった。今ではそんな思いをしないで済むが、それにしても、恒例の大掃除、親戚知人へのお歳暮、年賀状書きなど、この年末も時間割との駆け引きが続いている。
 そもそも時間というものは、いつの頃から人間の意識に上るようになったのだろう。思うに、まず、太陽の位置や季節の変化を認識することからはじまり、ついで計画的に対応するための方策として、一日を、また一年を分割していったのだろう。当時の人は、陽が落ちれば眠り、暖かくなれば農作業に精出すという単純な繰り返しのなかで、漠然とした時の流れを感じており、そこには人との乖離はなかったに違いない。
 しかし、今や時間は、自然のゆったりとした流れとは無関係に、人間の外側に厳然として在り、コンピュータで管理された社会機構のなかで一分一秒まで分割され、人は刻々変化する国際情勢に一喜一憂している。
 すべての動物には、太陽の運動と連動した体内時計というのがあるそうだ。徹夜作業や深夜運転。二十四時間テレビ。宇宙には、コンピュータで飛行時間と軌道が正確に計算されるロケットも行き交っている。
 かって人の内部と調和関係にあった時間は、ただ棒状の無機質な数字としての時間となり、人の生理や精神をむしばんでいる。環境に適応できないための神経症自律神経失調症。ロケットに閉じ込められたまま生還する宇宙飛行士のような強靱さがあれば別だが、人はどこまでこうした状況に耐えていけるだろうか。 
 人間本来のリズムを回復し、自らの健康を維持するためには、まず、外側から来る時間を断ち切らねばなるまい。電話、テレビを遠ざけ、管理社会との交渉も断たねばなるまいと、心では思うのではあるが‥‥‥。