詩の付き合い(67)

 詩人の弥冨栄恒さんが亡くなった。昔の「はんぎい」という同人雑誌の仲間でもあるが、それ以上に、優れた短詩を書く詩人として敬愛していた先輩でもあった。
 友人の池田君から連絡があって、葬儀に出席した。葬儀の参列者は、地区の長寿会、故人の勤めの関係の農協関係からの出席が多かったが、文学関係者の姿は少なかった。
 享年八十七歳という年齢では、ともに文学に熱中した同時代の人も、それぞれなにかしら身体の故障を抱えていることだろうし、若い人はその名前すら知らないだろう。
 一度出版記念会でお会いしただけの夫人に簡単に挨拶し、外に出て、煙草を吸った。ああ、これでひとつが終ったのだ、と思った。それぞれタクシーや自家用車で来た友人達を見送ってから、私も自分の家に帰るべく、自転車に乗った。車の通る道を避けて、麦畑が続く田舎道をゆっくりと漕いでいった。
 もの悲しい気分だった。遠くまで延々と続く麦畑だった。その緑はあくまでも青く、たくましい生命の力を見せつけるかのようだったが、魂を抜かれたような、無力感が私の心を支配していた。唄を口ずさんだ。悲しく寂しい気分がだんだん強くなる。‥‥どうしてこんな気持になるんだろう。
 私は生前に特別、弥冨さんと親しくしていたわけではない。
 お互い無口でもあったが、言葉を交わしたことも殆どない。向うの家族構成も知らないし、どういう暮らしを送っているかも聞いたこともない。
 弥冨さんに関する情報は、その書かれた詩がすべてでそれだけだった。
 帰宅してから妻に笑われた。子どもがいたのか、二人暮しだったか、そんなことも知らないで、おつき合いしていたんですか。
 そうだよ。お互い詩を読むだけの間柄。それだけで十分じゃないか。

  五月   弥冨栄恒
 毛虫がでかける
 ながい腹のなかを杖ついて
 風のひかりに
 マントの赤いうらが見えた
     昭和五十一年発行「服喪」より