詩人の弥冨栄恒さんが亡くなった。昔の「はんぎい」という同人雑誌の仲間でもあるが、それ以上に、優れた短詩を書く詩人として敬愛していた先輩でもあった。
友人の池田君から連絡があって、葬儀に出席した。葬儀の参列者は、地区の長寿会、故人の勤めの関係の農協関係からの出席が多かったが、文学関係者の姿は少なかった。
享年八十七歳という年齢では、ともに文学に熱中した同時代の人も、それぞれなにかしら身体の故障を抱えていることだろうし、若い人はその名前すら知らないだろう。
一度出版記念会でお会いしただけの夫人に簡単に挨拶し、外に出て、煙草を吸った。ああ、これでひとつが終ったのだ、と思った。それぞれタクシーや自家用車で来た友人達を見送ってから、私も自分の家に帰るべく、自転車に乗った。車の通る道を避けて、麦畑が続く田舎道をゆっくりと漕いでいった。
もの悲しい気分だった。遠くまで延々と続く麦畑だった。その緑はあくまでも青く、たくましい生命の力を見せつけるかのようだったが、魂を抜かれたような、無力感が私の心を支配していた。唄を口ずさんだ。悲しく寂しい気分がだんだん強くなる。‥‥どうしてこんな気持になるんだろう。
私は生前に特別、弥冨さんと親しくしていたわけではない。
お互い無口でもあったが、言葉を交わしたことも殆どない。向うの家族構成も知らないし、どういう暮らしを送っているかも聞いたこともない。
弥冨さんに関する情報は、その書かれた詩がすべてでそれだけだった。
帰宅してから妻に笑われた。子どもがいたのか、二人暮しだったか、そんなことも知らないで、おつき合いしていたんですか。
そうだよ。お互い詩を読むだけの間柄。それだけで十分じゃないか。
五月 弥冨栄恒
毛虫がでかける
ながい腹のなかを杖ついて
風のひかりに
マントの赤いうらが見えた
昭和五十一年発行「服喪」より