芋(83)

  水槽の中では、小さな亀が手足をばたばたさせている。大体水が多すぎるのだ。
 ああ、忙しい、忙しい。これから懇親会だ。 私は旅館の部屋で、洋服を脱ぎ、浴衣に着替えようとしているのだが、この浴衣、糊ではがれ難いし、帯は短か過ぎる。ああ、着くのが遅くて、とうとう風呂にも入れなかった。ままよと、そのまま階段を駈け降りると、大会場では、騒然と歌う声や怒鳴り声、もう宴会は始まっている。
 しきりの障子を開けると、席に座っているのはわずかで、部屋中浴衣姿がうようよ。徳利を抱えて歩き回る者。額を突き合わせて怒鳴りあう者。給仕女と抱き合っている者。課長がどじょうすくいを踊っている。鼻の下の折り箸が鬼の牙のよう。青鬼、赤鬼、白鬼ここは地獄の釜の底か。
 職員のなかに、同じ出向の平尾君がいる。飲めない平尾君の傍に行って仕事の話をしていると、急に平尾君が汗をかきはじめた。ひどい量で浴衣の間の胸には洪水のように汗が溜まっている。 
 突然肩を叩かれた。誰か知らないが、真っ赤な赤鬼が傍にどんと座り、さあ飲め飲めと酌をする。お互い知りもしないのにめちゃくちゃだよ。
 訳が分らないまま飲まされて、だんだん酔いが回ってきた。回りがぶつぶつがやがや騒がしい。だんだん耳が遠くなる。
 目の前の鍋から盛んに湯気が立ち上る。目がぐるぐる回る。鍋の中で煮立っているのは芋か私か。そこで砂糖を少々、醤油をひとさし。やがて皿に盛られて、みんなおんなじのっぺりふっくら赤い顔。互いくっつきあって、ぬるぬるつるつる遊んでいる。こそばゆいったらありゃしない。
 さあ、食べて下さいと云われて取った芋のひとつが、箸から滑りおっこちて、ころころ転げて‥‥。「ありゃ、踏んじゃったよ」