愛国心の行方(76)

 愛国ーという言葉が今の中国政治の旗印になっているようだ。北京オリンピックを成功させ、大国としての誇り、一つの中国を実証するための国家政策だろう。
 中国は、国内に五十五という少数民族を抱え、さらに台湾問題なども抱えている。常々漢族から差別され、ないがしろにされている少数民族を束ねるため、開会式では各自治区の民族衣裳をまとった子どもたちまで登場させた。また、四川大地震のときは、政府主脳がいち早く現場に駆け付けた。
 オリンピックの開会中も、国内の新聞はどれも自画自賛のオンパレードで、毒入餃子事件等マイナス面の報道は規制されているらしい。すべては愛国心を高めるための政策だ。
 愛国心ーといえば、私はすぐに大平洋戦争を思い出す。鬼畜米英、一億一心、欲しがりません勝つまでは。こんな標語が日本全土を支配していた。あの頃は戦争を批判するような言葉は禁句で、云ったものはただちに憲兵に引っ張られ、拷問された。
 今の中国が戦時の日本と同じだとは思わないが、オリンピックのバレーの試合などで、自国応援の加油(がんばれ)を叫び、日本の選手にブーイングを浴びせる観客群集の声を聞いていると、恐ろしい過去の亡霊が蘇ってくる気持がする。
 中国の国家予算に占める軍事費の割合は世界でも突出しているという。もともと中国は清王朝の末期に西欧列強の恰好の餌食になった歴史があり、とくに本土を侵略した日本に対して、特別な警戒心があるのは当然なのだが‥‥。(南京大虐殺などは過大に扱われ、国内の愛国心の昂揚に一役買っているとも云われている)
 日本は、前大戦でアメリカに非道な原爆を落され、戦争に負けたお蔭で、すっかり自信を失い、アメリカの使い捨て文化に毒されて、江戸時代から築き上げた独自の生活文化を見失ってしまった。
 中国は、少数民族の多様な文化を認め、差別意識を捨てて、宗教の違いも乗り越え、寛大な心で国家政策を押し進めていくべきだ。
 他を尊重し、違いを認めるのは難しいことなのだろうか。