花(64)

 小屋の戸をがらり開けると、外は白い霧。
どこまでも続く霧の中に、ああきれいなこと。無数の蛍が飛び交っている。青い螢、赤い螢、小さな螢、大きな螢。まるで飛んでいる無数の魂のよう。
 あれは幸福な魂。あれは悲しみの魂。笑っている魂。苦しんだ魂。欲深い魂。我執の魂。情慾の魂。失望の魂‥‥‥。
 霧の中を浮び漂っているさまざまな魂の光のなかに、ひと際きれいな光が見える。
 あれは仏画に描かれている光背だろうか。光の円環の中に、菩薩か如来か、うっすらと人のようなものが見える。
 その光はゆっくりと山の方向へ動き、わたしは、光に導かれるかのように、誘われるように、その後をついて歩いて行く。
 どのくらいの時間が経っただろう。やがて広い草原に出た。そこは山に囲まれた谷間で、不思議に静かな場所だった。
 霧に濡れた草原には、あちこち小さな青い花が夢みるように咲いている。花は、かすかな香りを放ち、霧の深みに浮かんでいる。
 小さな光の円環は徐々に高度を下げ草原の上に降りていく。
 いっせいに揺れる青い花。草原に着いた円環の下が開いて、やがて、輝くそのひとが降りたった。
 やがて雲の切れ間から月の光が流れ、霧が晴れて、草原の先に白く光る湖が現われ、崖下に隠れていた泉が輝きはじめた。
マイトレーヤ
 小さな泉がちょろちょろいう澄んだ声をあげ、湖の水は柔らかく甘く囁くように波紋をえがいて、岸にひたひたと打ち寄せる。
 草原に広がった青い花の群れは、頭を垂れたまま、あたり一杯の月の光に溺れている。
マイトレーヤ
 まぶしい人が、花の上で微笑み、優しい光の中に立っている。山の谷間を照らす、月の清らかな光に包まれて、静かに立っている。