金から人へ(80)

kuromura2008-09-22

 この度のサブプライムローンの破綻に端を発するアメリカのバブル崩壊は、金本位で動く経済のはかなさをはからずも露呈した。  低所得者向けの住宅ローンを金融証券に組み込んで売り出したリーマンブラザーズは、住宅ローンの返済が滞り、住宅の値上がりも見込めなくなったことで、証券の買い手がつかずに多額の負債を抱えて破産した。
 もともとリスクの高い証券である。高金利に釣られて投資した株主の夢は一夜にして消えたのである。
 人は金を求めて動く。金を運用することで利益を出そうとする人の欲がある限り、こうした期待はいつか破られるのだろう。
 金は新たな金を生み出す。株式投資という資本主義の仕組みのなかで、金もうけに奔走する人たちは、金を増やすことだけを考えている。まるで金という祭神の手先になったかのように。
 頭の中はいつも金、金、金だ。金はもともと経済社会の潤滑油のような役割を担うものだが、今は完全に金を増やすことそのものが第一義の目的になっている。
 人は金のためなら大抵のことはする。人を見殺しにし、人を騙し、時には人殺しだって辞さない。どうしてこんな社会になってしまったのか‥‥。
 商売人は汚染された米を売り付け、企業は偽りの広告で人を釣り、政治家は我が身の保身だけを考えている。身を犠牲にして、人のために尽くそうとする無償の行為を、いつから人は馬鹿らしいと思うようになったのだろうか。
 このままでは、今の資本主義の社会体制は腐っていく‥‥と云わざるをえない。世界の各地で起るテロや犯罪行為は、この体制が正常に機能せず、すでに老化しつつあることの証しではなかろうか。
 金や企業の繋がりを大事にする経済ではなく、個々の人間の連帯と幸福を考える人間本位の社会になってほしいものである。