神聖文字(69)

 世界各地に伝わる天地創造神話、人類誕生神話、英雄伝説。神話や伝説はどのようにして生まれ、伝えられたのだろうか。また、各地の民族集団によって異なる話がどのように統合されたか。
 それは、文化の固定化を促す文字が発見される以前の口承時代のことだろう。
 かって神々は、その自尊や嫉妬、憎悪と怒りの感情によって対立し、互いに人を使って殺しあっていた。伝説に登場する英雄=人間の苛酷な運命は、その背後にある神のわがままな感情や意思を物語る。

 神に支配された天上界の文明が没落して、地上にその遺物が降ってくる頃。一人の吟遊詩人が海へ向って河沿いの道を歩いていた。丈の高い蘆が群生し、菜の花が延々と連なる道だった。
 河口の辺りで昔の都市に行き着いた彼は、釣り糸を垂れている少年から都市の由来を聞いた。ここは神の恩寵を受けた、かっての英雄が起した町である。しかし、その英雄も後に毒を飲んで死んだという。
 少年に案内されて昔の遺跡を見て歩いた。大きな石柱に支えられた天井は大半が原型をとどめぬほどに崩れ落ちている。
 英雄はなぜ死なねばならなかったのか。天上界の文明はなぜ亡びたのか。
 夜、少年とともに、海辺で遠くの火を見ていた。遺物のごみを燃やす火である。ときに火が消えて、白い煙がたなびく。
 少年があれはと指差す。空中に横に連なる記号めいた文字がぼんやり見える。アラビア文字神代文字か。蛇に似た形が赤や黄色に輝いて、空間でゆらゆら揺れている。
「われ、神の呪縛を解き放たんがため、自ら毒を食らへり」
 英雄の死によって、寄るべき肉体を失った神も存在理由を失って消滅した。