死の島(54)

kuromura2007-06-19

 暗い空の下、糸杉の林を囲んで、そそり立つ岩の島。鏡のような水面をすべるように、死者の棺を乗せた一隻の小舟が島の門に近づいていく。神々しい感じもするが、この絵を支配しているのはほとんど絶対に近い静寂の気配である。
 スイス生まれのアーノルド、ベックリーンが描いた「死の島」の図録を見ていると、いつも不思議な気持になる。島のまわりには、波が全くないので、海ではなく、湖沼として描いたものだろうが、空想画とは思えないリアルな存在感がある。
 べックリーンは、印象派が活動していた十九世紀末の画壇で、主に神話や聖書を題材に、象徴主義といわれる画風を築いている。ほかに「死神のいる自画像」や「キリストの死を悲しむマグダラのマリヤ」「波間の戯れ」などの作品もあるが、いずれも幻想的なテーマをリアルな手法で描き、シュルレアリズムの先駆とされている。
 ここで私が思うのは、このような創作姿勢がどこから来るのだろうという疑問である。モネやセザンヌなど明るい色彩の印象派に背を向けて、ことさらに暗い題材を選んだ理由は何だったのだろう。
 自らの自画像に、バイオリンを奏でる死神を重ねる理由はなんであろう。べックリーンは生の輝きよりも死の予兆に興味があったのだろうか。
 べックリーンは、同じ構図で五枚の「死の島」を描いているようだが、その一枚はヒトラーの居間に掛けられていたそうだ。
 ルネッサンス期のネーデルランド(現在のオランダ)フランドル地方にヒエロニムス、ボッシュ(ボス)(1450?〜1516)という画家がいて、「快楽の園」などの三連祭壇画を残している。最後の審判ー勧善懲悪の思想に裏付けられた宗教画ではあろうが、その地獄図に描かれたさまざまな怪物たちの異様さ、その迫真の想像力と執着心には圧倒される。
 文学の世界と同様、画家にも現実の美だけを愛する者のほかに、現実から離れた場所にしか美を見い出せない者がいても不思議はない。