楠若葉(55)

kuromura2007-06-29

 ここは小学校の裏門。私はウオーキングに疲れて、学校の敷地から差し掛けた大きな楠の樹の影に座っている。
 さっきから涼しい風が吹いている。と思ったら、誰かが樹をゆすっていた。楠の若葉が揺れ、高い所から子供の顔が出た。赤いほっぺたがふくらんで、はあはあ息をついている。健康そうな小学校四〜五年の男の子だ。
裏門が閉まっていたので、楠を足場に塀を超えようとしてるのだろう。
 子供が塀の上に立った。危なっかしく見えて、手を伸ばして下ろそうとしたが、子供は飛び降りてそのまま走り去った。
 ーどこの子だろう。今どき外で遊ぶ子供も居るんだなー
 昔はどこの家の子供も、自分の家であろうと、他所であろうと、勝手に木に登り、塀を越え、溝を飛び越え、自由に歩き回ったものだ。今は親がそれを許さないし、子供達の遊びも室内でのテレビゲームが主流だ。
 がらっと窓ガラスが開く音がした。学校の中が何だか騒がしい。子供たちの声もする。今日は土曜日で学校は休みのはずだがー。
 楠の葉がざわざわと揺れて、こんどは大人の顔が現われた。
「おや、黒村くん」
 その男が云った。
「辻くん!」
 今はここの先生だが、もともと小学校時代の同級生だ。
「ここで子供を見なかったかね」
 辻くんが聞いている。
「今、生徒の補習授業をしているんだが、ひとり足りないんだよ」 
「そうかね。暑いのに大変だね。‥‥‥子供?いいや、誰も見なかったよ」
 私は辻くんには悪いと思ったが、つい嘘を云ってしまった。
 だって、さっきの子は昔の辻くんにそっくりだったんだ。連れ戻すのは可哀想じゃないか。