虫(59)

kuromura2007-11-01

 いったい、なんて書いてあるのだろう。何度もくりかえし読んでいるのだが、よく文意がつかめない。いや、ひとつひとつのひらがな文字があまりに個性的に過ぎて読めないのだ。いったいこの人は小学校でまともな国語の勉強をしたのだろうか。それにしても、何のためにこんな文章を送りつけてきたのかと思うと、だんだん腹が立ってきてとうとう手紙を放り投げてしまった。
 それからどれくらいの時間がたったかーあたりはもう暗くなっていた。薄暗い部屋の中で、なにやらかすかな音がしている。どこからか、無数の蚊が沸き出しているような、遠い飛行機の爆音に似たぷーんという音だ。
 まだ夏の終りだ。部屋の中は蒸し暑い。ふうと溜息をつき、手を伸ばすと、さきほどの手紙が指先に触れ、思わず舌打ちした。
 手紙の主はまだ若い女性らしい。せつせつと何かを訴えているのだが、これではまるで暗号だ。すでに使われてない古代の文字を解きあかすようなもので、XやYの未知数を確定する因数分解のようなものだ。
 もともとは記号に過ぎない文字が意味を持つのは、それが決められた約束に従って並べられるからだ。文字のまとまりが或る気持や意思を表現するからだ。
 かすかな疑問がその時私の中で芽生えていた。これは単なる悪意で送られてきた、意味のない文章ではないか。私を困惑させ、混乱させるために仕組まれた手紙ではないか。
 気が弱い、しかも人がいいという私の弱点を知っている人間が、私の神経を痛めつけるためにこんな暗号じみた手紙を送ってきたのではないか。そう解釈したほうがすっきりとするではないか。
「けけ」、部屋の隅で笑うように何かが鳴いた。蟋蟀ではなく、もっと悪意に満ちた陰気な声だった。私はその暗い声に向ってその手紙を投げつけた。
 すると、ぞろぞろ、便箋のあいだから黒い虫が這い出てきた。