喫茶コギト(51)

kuromura2007-05-07

 若いころから、通っていたクラシック喫茶店「コギト」が閉店した。残念なことだ。コギトは昭和五十年白山の近代酒房ビルに開店した。気のおけない素人はだしの店で、開店当座から日課のように通いつめていたのだが、勤めを辞めてからは足が自然に遠のき、最近は年に二〜三度市中で会合があるときぐらいしか顔を出してない。
 白山のコギトは、酒房ビルの解体により中央本町に移転したが、間もなくそこでも火事に焼け出され、こんどは愛敬町で出店して一年ばかりだった。閉店の話を聞いたときは正直びっくりした。たまたま十日ほど前、キルトの展示会に女房と出かけたときにも、そんな話は聞かなかった。ただそのときも店の客は少なく、写真家のYさんが来ていただけだった。客が少なく、経営が成り立たなくなったのだろうか。 
「コギト」というのは文学者のTさんが考えた名である。デカルトのコギト、エル、ゴウ、スム(我思うゆえに我あり)に由来する名であるが、それ以上にTさんには昭和初期の文学同人誌のコギトのことが頭にあったに違いない。
 コギトの客は学生、新聞記者、サラリーマン、大学教授など多岐にわたっていたが、お互いに顔見知りで、常連客同士膝をまじえ、なにかにつけさまざまなことで話し合い、ときには激しい議論を闘わせていた。また、その喧噪の中でじっと音楽に耳を傾けている人もいた。いろいろな個性の人がそれぞれの流儀でその雰囲気を楽しんでいたのである。
 こうしたコギトの雰囲気づくりには、ひとえに経営者であるAさんの、分け隔てない客扱いによることが多かった。Aさんは客のそれぞれの個性を大切にし、いつも温かく見守っていてくれた。また、相手の好みを考えて話題を提供し、その場でひとを引き合わせてくれることもあった。
 地域と無関係なマンションが林立し、画一化、効率化が進行する経済構造のなかで、サービス業の厳しさも例外ではない。面白くも可笑しくもない系列店が蔓延する地域社会から、また一つ、大切な心の灯が消えた