概念の言葉

 言葉は文化の伝達には欠かせない媒体だ。日本人が使う大和言葉は、明治期の西洋文化の導入時に、画期的な変化を遂げる。日本人は西洋の文字をそのまま使うのではなく、翻訳したのだ。その結果、それまでの独特なニュウアンスの話言葉、文字としての漢字に加え、西洋の医術、科学、哲学、倫理に由来する概念、例えば「自由」、「社会」などの言葉が加わった。当時、全く未知の外来語を日本の言葉に翻訳する仕事は、大変な作業だったろう。明治の先人にとっても、無から有を生み出す至難の業だったと想像できる。現在の日本人の言葉の語彙は、西洋諸国の概念に匹敵するもので、そのお陰で西洋の文化と肩を並べている。日本人がノーベル賞を貰うのも偶然ではない。
 人は言葉で考える。言葉が無ければ自分の考えを整理したり、構築したりすることができない。自国に(観念的な概念の)言葉を持たない国の人は、英語やドイツ語を勉強しなければ、国際の場所では通用しない。日本人の識字率は百パーセント。この点でも日本人は恵まれている。
 言葉はまず、自分の名を覚えることに始まり、自分を取り巻くものに。そして、具体的な物から、さらに抽象的な事柄まで拡がっていく。
 世界の人は皆それぞれの場所で暮らしているわけで、生活の仕方や考え方も異なり、使う言葉の意味も違う。日常の挨拶も、習慣も外側からでは判らない部分もある。概念の言葉は、特別な生活環境を説明する役割をも担うのである。
 概念の言葉は、その地域の特殊性を除外した完成形で使われるので、実際には、現実の対象が存在しない言葉だ。例えば、「平和」「主権」など、政治家が良く使う言葉だ。概念の言葉は便利で、立場の違う人すべてを納得させる力がある。しかし、家に帰ってよく考えてみると、実は、だまされていたことに気づくことが多い。