言葉での存在

 この地球上において、人類は他の種を圧倒して増え続けている。2000年で60億人、2050年には91億人になるそうだ。火と武器を手にした人類は、この地上の君主となり、他の動植物を支配し、自分勝手に自然を乱開発してきた。そして、今は、ロケットの技術をもって宇宙開発に乗り出している。
 人間は、他の動物とは異なる特別な存在だろうか。西洋の神は自分に似せて人間を創ったというが、人間に神性が与えられたわけではなく、体は動物以上のものではなく、死ねば腐る。万物の霊長といわれる人間は、進化した動物の一種であり、自然の循環のなかで、活動、増殖、生死する哺乳類の一族に過ぎない。
 神に似せて創られたという、創世神話の由来はなんだろうか。人間が動物以上の存在とされる理由はなんだろうか。知能だろうか。文化だろうか。それとも、人間の言葉だろうか。言葉を持つ動物は人間しかいない。言葉によってのみ人間の存在は特別であるかもしれない。人間は唯一の話す動物として、この地上に存在している。
 この地上の世界は、混沌として常に変化している。それに反して、言葉には本来、整然とした秩序がある。言葉には、物事を体系的に分類し、あいまいなものをはっきり定義するような働きがある。人間同志の意志の疎通を行うために使われた言葉は、いつか物質世界から切り離されたところで増殖し、観念や想像の世界でも使用されるようになった。
 人間は言葉なしでは生活できない。言葉は、本来もっているその定義性、絶対性により、自然的存在である人間に影響を与え、その行動指針まで形成することにもなる。神や仏の言葉は絶対的な影響をわれわれ人間に与える。また、子供は親や先輩の意見に従い、あるいは反発して、自分の将来を決める。
 言葉は外からだけ来るものではない。自分の思考に伴い、内部でも常に言葉が生起、活動している。しかもそれは、日々の不安定な出来事で変わっていく。日常の僕らは言葉によって、安心したり,動揺したり、落ち込んだり、気分が良くなったり、偉くなったり、惨めになったり、忙しい。それでも人間は内外の言葉に支えられて生きている。というより、言葉に振り回され、言葉の渦の中でもがいていると言ったほうが近いかもしれない。
 人をたぶらかす言葉、さげすみの言葉、投げやりの言葉、悲しみの言葉、苦しみの言葉、あわれみの言葉、意味のない言葉、軽い言葉、苦い言葉、重い言葉、意味を含んだ言葉、後で意味を持つ言葉、考えさせられる言葉、面白い言葉、温かい言葉、人に手を差し伸べる言葉。