チーコと私の病床日誌(150)

2月25日、午後3時~4時半。耕した畑の草を取り、貝塚伊吹の垂れた葉を切る。

3月1日、21度。夜から雨とのことで、昼から、マンションの方へ向かう北畑のくろがねもちの大枝を切る。3時に終わる。

4日、昼過ぎ、パソコンに向かっていたら、窓の外に人影が見えた。ばあさんが二人居て、庭の水仙の花に触っている。時々あることなので,気にせずにいたが、後で、外に出たら、入り口に置いていた鉢のシクラメンが抜かれて無くなっていた。まあ、終わりに近かったから、いいかと思い、また、グッデイに行き、別の小花を買ってきた。それにしても、花盗人は花を折り取っていくものだと思っていたが、鉢植えの花を抜いていくとは。

7日〔日)、昨日、土曜の昼過ぎ、買い物行こうと着替えまでしたが、どうも、気が乗らない。しばらく座っていたが、だんだん気分が悪くなり、めまいまでして、布団に寝てしまった。考えると。昼飯代わりに食べた餅が腐っていたようだ。正露丸を2粒飲んで、救急車を呼ぶ準備だけして、寝ていると、6時半ごろ、次男から電話があった。事情を説明して、大したことじゃないとしばらく話し、その後、洗面所で吐き、眠ると、朝7時過ぎには普通に戻って、次男に回復した旨、メールを送って起きる。夕5時半頃、長男から電話。6日(丁度眠っていた)5時に電話したとのこと。

8日、午後から、島田病院で妻の診察料金を納入し、郵便局で孫の貯金、墓の管理料を送付。スーパーで買い物して、家に戻り、畑を耕し、5時に終わる。

10日、アジアの苦悩(ミャンマーのデモなど)
大東亜戦争によって植民地から解放されたアジアの国々は、今、なんとかして西洋なみの民主主義国家に、生まれ変わろうとしているが、政権に不満を持つ民衆のデモや中国の外圧などで、なかなか大変なようだ。日本は、明治維新で、西洋の政治体制を視察、いちはやく取り入れたが、アジア諸国では、自由、平等の社会理念が、昔ながらの民族の構成、宗教、戒律に縛られた国々に落ち着くには、まだかなりの時間が必要だろう。また、この度のミャンマーのデモでは、韓国産の催涙弾が使われているようだ。韓国には、北朝鮮やイランにも、武器に転用可能な物質を輸出した疑いが懸けられている。今の韓国は、同盟を軽視する中立路線で、米中の狭間で蝙蝠外交をしているが、このような外交姿勢では、最後には、かってのように米中の戦場になるのを避けられないだろう。昔、日本は、清から奪った朝鮮を同化しようと、莫大な金や技術をつぎこんだが、歴史が異なる国を併合するのは、向こうから頼まれたとしても容易に成就出来ることではない。

11日、20度、午後1時から作業。北畑の松の枝がやっと折れた。これで、マンションに被害が行くことはない。あと、畑の畝を作り、4時に終わる。

12日、小雨、午前10時、ジャスコ内のベスト電器に行き、ダビングされたdvdを受け取り、家でグラバー園と熊の川の分を見る。共に懐かしいビデオだが、声が低く聞き取れないのが残念。後3つは、母の13回忌と、八戸ー七つ釜、平尾台

13日、曇と晴、八戸-七つ釜は昔の家の周りの樹木など、平尾台もだが、最初の20分ぐらいが撮影されたぐらいで、後は、テレビのドラマが写っており、あまり、意味がなかったが、母の13回忌は、談笑する親戚10人と、あと、兄や兄嫁が代わって、私や妻の姿も映っていて、ほぼ最期までよく撮れていた。