評論(幻想の泉鏡花)

   幻想の泉鏡花

 前日の参議院選挙の速報か次々発表される月曜六時半、市内のむし暑い一室では、そこだけは別世界のように、今年で十五年目になろうとする読書グループ近代文学研究会が聞かれていた。
 明治二十四年、牛込の紅葉の門下にはいって以来、昭和十四年に他界するまでの鏡花の作家活動は小説だけでも三百編にも及ぶものであったが、わずかに『婦系図』『高野聖』『歌行燈』を通して眺められる鏡花像は、そのみかけのあまりの古めかしさのために、今までずつと偏見の中に見棄(す)てられてきたものだった。
 『愉快(おもしろ)いな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくっても可いや、笠を着て、蓑(みの)を着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡っていくのは猪(いのしし)だ』
という新鮮な独白ではじまる『化鳥』は、少年の意識にうつる母親の二重像と母胎回帰の幻想であろうし、主体を危機におとしいれ、感覚を異常な点にまで引き上げることによって、現実の仮面をはぎ本質を語るうとするのが現代文学ならば、鏡花の次のような小説はどうだろう。
 一人の散策子が夢のように眩(まば)ゆく黄色い世界−菜種畑の道を妖(あや)しい空気にさそわれて観音堂まで来ると、そこに短歌が貼(は)つてあり、[うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてきー玉脇みを』とある。
 その時、一人の出家が話かけ、その歌の主に恋いこがれて海で死んだ男の話を聞かせる。男は観音堂の裏山で奇妙な芝居をみてから少しおかしくなったのだ。夢のことについて考えながらの帰り道、散策子は当の玉みをに出会ってとりとめもない話を聞かせられる。そのとき角兵衛獅子が通りかかり、女は『君とまたみるめおひせば四方の海の水の底をもかつき見てまし』という歌をことづける。翌日、女は角兵衛獅子と一緒に死体となって浜に打ちあげられる。
『春昼』及び『春昼後刻』というこの小説は通常の自然主義文学の概念では理解できず、それをはるかに超えて美しく恐ろしい。男と女との間には実際に会話一つなく、どんな交渉もない。にもかかわらず二人は、ひきよせられるように運命の網にとらえられて、同じ海で死んでしまうのだ。
 明治三十六年紅葉が歿し、日露戦争が始まるころ、小説の世界は現実暴露の自然主義文学一色に塗りつぶされる。愛弟子杢金太郎が語っているように、当時、自然主義文学にあらざるものは人にあらず、『早稲田文学』『文章世界』に拠(よ)る作家は、組織の力でもって文壇から日本伝統のロマンチシズムの文学を追放した。以来、鏡花の世界は江戸情緒に耽(ふけ)る美しい骨董(こっとう)品となり、せまくかたく閉ざされてしまったのではなかろうか。
 『薬草取』に見られる時間の二重構造も、『沼夫人』の水のイメージも、ただその怪奇性のみが問題にされ、物語の意味も、意識の領域も理解の外に投げやられてしまっだのではないだろうか。