地図(43)

 崖上と崖下の男女は、地図の上では二〜三メートルの距離だが、現実は五十メートルも離れている。これは、片寄った見方による或る錯覚、食い違った心、空想と現実の差などを考えさせるが、同時にわたしと夫との心理的の距離を表している。
 わたしは極度の方向音痴だ。スーパーでもデパートでも、一人では絶対歩けない。今時の複合商業施設ときたら、中で区切られた店鋪は似たり寄ったりで、上り下がりする苦手なエスカレーターやエレベーターが幾つもある。駐車場に止めた夫の車を離れ、入口から入り、買い物を済ませて帰る段になって、はてと、車の場所まで戻る道筋がなかなか思い出せない。夫は頭の中で地図を描きなさいと言うが、もう、諦めている。わたしは現在いる場所も分らないし、今の場所から南や北がどっちかも分らない。早く言えば地図そのものが分らないのだ。
 ある日、わたしはマンションの部屋で、この附近の地図を見ていた。地図では、三十階建てのマンションの各階の五号室の家族は、それぞれが別な場所に暮らしているのだが、地図の上では同じ場所にいることになる。また若しこのマンションが建ってからかなり経つなら、古い地図には、昔住んでいた別な家族の姿が見られるだろう。
 そんなことを考えながら、地図を見ているうち、ふと、誰かがわたしを呼んでいるように感じた。すると何かが変った。
 わたしは、地図を見ながらその中を歩いていた。高いビルの谷間。走る車の間を沢山のロボット達が行進していた。恐怖感がわたしを突き飛ばした。
 緑の木々が生えた公園の中に走り込むと、気持がいくらか落着いた。窪地に縄文時代の竪穴式住居が見える。下りて中を覗くと、鹿の毛皮を着た夫が振り返った。
「やっと来たね。待っていたんだよ。ここは昔の地図の中だけどね」