岩神(98)

kuromura2010-02-10

 あちこちから小さな水音が聞こえる。集まってくる音は、澄んだちょろちょろいう音のほかに、遠い地鳴りのようなごんごんいう低い音もある。丸い天井に覆われた洞の中は、清れつな水に浸されているようだ。ここは外界から遮断された世界なので、外の音は一切聞こえない。
 昨日から、私は、この島の洞穴の中を調べている。山歩きの途中の、ふとした発見がきっかけだった。岩山の崖の巨岩の隙間から、生温かい空気が漏れ出しているのに気づき、重なった岩の間に溜まった土をかきだして中を覗くと、奥に続く入り口が見えた。
 私は懐中電灯を手に穴にもぐりこみ、岩伝いに降りていった。岩は階段のように下方に続いている。人の手が加わったような感じもあるし、行く手に巨岩がうねるように幾重にも横たわっているのは自然のままのようでもある。折り重なる岩は電灯の明かりに鈍く光り、その白い岩肌には緑色の斑点も見える。
 片方の手で岩の壁に触れながら降りていくと、壁がぬるぬるしているのに気がついた。水が浸みだしているのだ。見ると、その岩の表面には微細な文字がびっしりと刻まれている。古代の絵文字だろうか。ここに住んでいた住民が書き残したものだろうか。だとしたら、ここは先住民の住居の跡だろうか。
 その時、水の流れる音に気がついた。いつか湿った砂の上を私は歩いているのだった。水はすぐそばの岩の間を流れていた。細い水の流れは奥のほうから入り口ほうに続いている。 
 上から垂れ下がった大きな岩を潜ると、突然、広い空間に出た。円い天蓋になった岩の上方からひとすじの光が射していた。そして、目の前のひときわ広い岩の上に、光を受けた緑色の像が見えた。まだこの世界にはこんな所があったのだろうか。まだ見たことのない場所だった。私はその場に座り、ひと息ついて、リュックからハンマーを取り出した。
 像は、上下二つの塊からなる大きい雪だるまのような形をしていた。意図も無く生成された自然の造型物だったが、それにもかかわらず、何か意志をもって創られたように、目に当る部分には二つの青い石が輝き、像は強い怒りの表情を浮かべて私を見ていた。
ーおまえはだれだ。ここは人間が来る場所ではない。
 像が、思いがけず喋った。
ーおまえは綺麗な心を持っていない。邪悪な大人だ。帰れ。
 帰れというその声は洞の中に木霊した。
 水の音が急に高くなった。ごうごうと地鳴りのような響きが私を襲い、巨大な像は私の上にのしかからんばかりだった。私はその場に立ちすくみ、次の瞬間、恐ろしさに震えながら退き、出口のほうへ走っていた。
 あれは見たことのない恐ろしい岩神だった。岩神は腹を立てているのだ。想えば金になる石ー翡翠の原石を採取する私のような山師を心から憎んでいるのだろう。