チーコと私の卒業日誌(182)

9月2日、曇で30度。午後1時から、先日剪定した竹生垣の表に、秋というのにまだ生える筍を切り、鎌で庭と北畑の草の間の通路を作り、6時に終わる。今日は風呂でなく、久しぶりのシャワー。気分良し。ロケット軍の司令部改変などで中國の台湾侵攻は遅れるだろう。

4日、夜、辻井伸行のピアノを聴く。ラフマニノフチャイコフスキー、リストのハンガリー狂詩曲。ロシア、中国のニュースの騒音を鎮める。

5日、夕方4時半から、生垣に筍を取り、後、庭の草を刈り、畑の周りの草を抜いていたら、かみきり虫が入り込んだイチジクの茎を見つけたので、鋸で切って捨てる。丁度、雨が降ってきたので6時でやめる。

7日、晴、31度。午後4時から、庭の草取り。6時半に終わる。

9日、晴、4時から6時半まで庭仕事。北畑のシン鉄砲ユリは、今、西日本で広がっている外来種とのこと。根から掘り取って捨てる。

11日、午前中、次男嫁からブドウ届く。午後2時から庭の草取り。今年は例年になく、草たけも高いので、除草剤も使う。最後に、堀までの通路の草を刈り、6時に終わる。いくらか疲れた。

12日、午前9時、森病院で血液、尿検査、体重測定等。薬を毎日に。

13日、午後1時から5時まで、西金網のジャスミンの剪定が主で、草取り等の庭仕事。多少疲れた。

17日、小雨、全国的に高暑が続いている日本だが、今朝の我が家の気温は24度で珍しい。昨日、晩飯の時、ポロリと欠けた下前歯一枚も気になるが、それよりも気になるのは世界のニュース。朝食のパンの後、早速今一番気になる中國のニュース~大紀元のユーチューブを見る。このところ、災害続きの上、腹心の粛清、g20への欠席などで世界から孤立している中國だが、主席が自分の暗殺を恐れているのは、過去の予言のことではないかとの主張をしていた。所詮は借り物の共産主義だったのか。

19日、朝9時、近所の歯医者に行き、欠けた下前歯をつけてもらう。今日は30度。午後3時半から庭の入り口付近の、芝を刈り、豆草を抜き、6時に終わる。

23日、(土)詩の雑誌、同人誌「滾滾」の詩の内容が世界の今の情勢に無関心なので、編集者に送る手紙(詩の書き方)を書く。

24日、午後3時半から6時まで、庭の草刈り、除草剤撒きなどをする。

27日、曇、午後3時半から6時半まで、鍬と鎌で庭の草取り。

28日、午後、3時頃、Sさんが梨とチョコレートを持って来た。Sさんも妻と同じ朝鮮からの引揚者ということで、昔の話で色々盛り上がった。 御主人の話、文学の話などにもなり、帰りに私の書いた「獣の眼」(千冊刷り、残り5冊)も読んでくれるよう上げてみた。

 

チーコと私の卒業日誌(181)

8月1日、午前11時、どんぐりに保険証と割合証を持って行く。介護婦に「自分から話しかけるか」と訊くと、「こっちから聞くと、モリツネと言う」。

2日、北畑に野生の白いユリが咲いたので、パソコンの図鑑で調べると「鉄砲ユリ」だと判った。隣から米を買ったらきゅうりを3つも貰ったので、花を上げる。

3日、最近のニュウス。中国、北京を守るためのダム放水による大洪水。東京で開かれた、ロシアが41の国に解体した後の事を話し合うフォーラム。

5日(土)、一週間ほど前にかかった軽い風邪がまだよくならないので、森病院に行き、漢方薬を貰う。塩分を取り、夕方、良くなったので風呂に入る。

7日(月)、午後5時~6時半。竹生垣整理、草取りなど庭仕事。明日から台風。

9日、朝、ペットボトルをゴミ出し。中国の北京周辺の水害に対する共産党政府への批判が高まっている。一方、台風6号は朝鮮に向かうようだ。

11日、晴、午後5時から庭の草刈り。7時に終わる。最近、腹が空かない。清暑益気湯という漢方薬をのんでいるが、試しに晩飯を抜いてみる。

15日、曇、午後1時から,竹生垣を、風が少し強いので、裏側と入り口をする。あと西日が強くなったが、6時まで頑張る。

21日、午後5時から、庭の草取り。7時に終わる。今年は例年になく草が多く、秋にならないと完了しないだろう。

24日、曇、午後4時から竹生垣の表の剪定。夕方、車が通るので全部は出来ず、庭の草の間に通路を鍬で造り、7時に終わる。

25日、昨日、作業中に歯に穴が開いたので、正露丸を入れ、朝、歯医者に行ったら、プラスチックの溶剤で穴を塞いでくれて完成。1週間後に予後の手当とか。午後3時半から竹生垣の為遺した分を剪定し、草取りを5時半まで行う。

31日、曇、午後4時から、6時半まで、庭の草取りと草枯らし。

チーコと私の卒業日誌(180)

7月3日、雨、ロシアの政界=野党は、3件のオルガルヒ暗殺がプーチンの指示によるものではないかとの疑惑で揺れているという。反体制派のナガルニュイ氏を拘禁時、食事に入れた青酸カリで毒殺しようとした者の自白もあるそうだ。暗闇のロシア政界。

有明海の満潮8時半。干潮3時。(現在9時15分-風雨強)堀の水は一杯だが庭には入って居ない。午後になると、予報の大雨はなく、エアコンもドライに入れた。

6日、晴で温度が高いので、午後3時まで待って、庭仕事。表竹生垣の下の龍の髭を鍬で掘って取り、入り口の竹生垣やアジサイを剪定、庭の草を刈り、6時半に終わる。

11日、午後3時から、日陰の芝生の中の草を取り、6時に終わる。

13日、この前、妻の所へ花を持って行った時、ケアホームの所長から、私の望みが何かと訊かれた。私は、「妻が普通の人のように自分の足で歩けるようになることを」と答えた。そして、この面会禁止はいつまで続くのかと訊いた。思えば、この状態は、ウクライナとロシアの戦いにも似ている。苦しい。

14日、曇、午後2時から5時半まで、腕と首に蚊除けのベーブを塗り、庭の草をバリカンで刈り、堀辺や北畑への歩道を作る。

16日、晴、午後4時から作業。表の竹生垣の筍と道路に出た枝を切り、その後、畑の周辺の草を抜き、2~3の幼木を植え替え、7時半に終わる。

18日、朝9時、ゴミ出し場の掃除当番。昼2時半から、日陰の北畑の草刈り。小鬼ユリだろうか、何かの花の蕾。6時に終わる。

19日、昼3時頃、近所の民生委員さんが来訪。しばらく、昔のこと、お茶会のこと等話合う。5時から北畑と庭の草刈り。7時前に終わる。

20日、午後3時から、北畑の草を刈り、からいもを植え、6時に終わる。

21日、朝から、部屋でバリカンの修理をするが、動かない。少し風邪気味で、うがいを何度もして、薬も飲む。湯で飯を流し込み、5時過ぎに床に就く。

23日、洗濯物を干して、昼から暑いが、弁当などの買い物。

25日、午後2時前、どんぐりに電話して妻の様子を聞く。妻は昼食後、「何時もどうり食事の後、自分の部屋で眠っている」とのこと。少し気持ちが落ち着く。4時前から雨が降ってきた。さあ、スーパーへ行くぞ。

29日、曇、4時から、南隣境のフキや子竹などを刈り、北畑のススキ等の雑草を刈り6時に終わる。

31日、朝10時過ぎに北のイオンで、大分前に貰った、ウナギやメロン、シュウマイなど中元の返礼として、次男と妻の実家に鮭の西京漬を贈る。一週間~10日かかるとのことで、次男に電話する。

 

チーコと私の卒業日誌(179)

6月3日、午後4時から6時まで、バリカンで草刈りの後、除草剤を撒く。

4日、午前中、Sさんに電話して、庭のアジサイの花を、公民館でのお茶会に持っていってもらった。その後、11時前、思い直して、お茶会に出る。男は4~5人。女は20人ほど。1時間ほどで帰る。

7日、午後3時から、入り口の香りの木2本が厚すぎるので、幹の剪定をし、庭の畑の草を掘り、庭の草を抜き、7時に終える。明日は雨。

10日、昼過ぎ、妻が居る施設に紫陽花と花菖蒲などを持って行く。妻は就寝中で会えなかったが、ケースワーカーの女性が私の望みを聞いたので、「歩けるようになるこ今後と」と答える。女性は今年のサービス計画書を呉れた。

12日、午後4時から、裏の竹の子を抜き、広がった竹林の外側の竹を鋸で切り、7時に終わる。

14日、午後3時前、森病院でコロナ予防接種6回目。血圧とフリパスの薬も。

16日、午後3時から、竹生垣の剪定。北の隅の一角を残し7時に終わる。最近高かった血圧が、昨日から100以下に下がる状態が続く。シナモンのせいだろうか。続けばいいが。

19日、ユーチューブを見ていたら、外国産の小麦には、収穫時に枯葉剤を使っているのが有るそうだ。朝はパンと決めているので気に懸る。山崎、フジ、敷島など、今後は無添加のパンだけにしよう。

24日、今日はあまり暑くないので、午後1時半から、やり残していた表の北生垣の剪定を行い、後は、胡瓜やトマトなどが生る畑の草取りなどして、6時半に終わる。風呂に入って、ユウチュウブを見ると、ロシアのワグネルの反乱を伝えていた。今後ロシアという国がどうなるのかは分からないが、悪いニュウスではあるまい。

25日、ワグネルの反乱。モスクワ直前で引き返して、一体あれは何だったのか。今日からしばらく雨。

30日、今朝3時頃から、雨と雷鳴が激しくなり、心配していたが、幸い有明海は干潮期で洪水の懸念は無くなった。一方、ウクライナ侵攻のロシアでは、私兵のワグネルの反乱に加担したとして、軍の副司令官が逮捕されたとの報道も。ワグネルの軍人は元々アフリカの企業で働いていた傭兵や囚人。そしてロシアで反乱を起こしたこの兵隊たちが、ベラルーシに送られたことに、バルト3国の2国が懸念を表明している。この戦争どう終わるのか。

 

チーコと私の卒業日誌(178)

5月1日、日本の昭和時代の風俗を描いた「すずめの戸締り」という映画が中國の若い世代で人気になっているらしい。昭和と云えば、日本経済が敗戦の貧困から立ち上がってきた時代だ。映画そのものは見ていないが、当時の「歌声喫茶」などを知って居る私などは、元気が蘇るような気がする。午後から、水路の泥上げなど庭仕事を6時まで。

3日、午後2時から庭仕事。5時に終える。

4日、雨、午後5時過ぎ、長男と娘2人が到着。夕食後就寝。切って

5日、午前12時前、4人で県庁屋上階で佐賀市内の見物後、北上し、イオンの「庄屋」で昼食。帰宅後、雨も上がった庭見せて、4時前、佐賀駅まで送る。

9日、昼から庭の草取り中、山代ガスのF君が2か月分の集金に。風呂場の割れたガラス戸を見てもらう。腰が少し痛むので5時半でやめる。

17日、午後1時過ぎ、山代ガスの℉君とガラス職人が来て、半時間ほどで風呂場のガラスを張り替えてくれた。

18日、電気回路に使われる半導体は、機械や兵器の必需品であり、その進歩は、今や世界の関心の的になっている所だが、この程、佐賀大学のチームが、ダイヤモンド半導体を研究開発したそうだ。

20日、午後2時から、入り口付近の竹生垣をバリカンで剪定し、同じくバリカンで庭の通路に生えた草を刈って、6時に終わる。

23日、コロナ予防注射の書類と紫陽花などの花を持って、どんぐりへ。ガラス越しではあるが、妻と顔を合わせた時、その眼で私を覚えていると判って嬉しかった。

24日、朝10時前、好生館でペースメーカの検査と診察。あとはまた1年後。

25日、郵便局で固定資産税11万5千200円納入。

28日、昼12時から、バリカンで庭と北畑の草刈りと竹生垣の裏側の剪定。畑の草取り。竹藪の芽も切って除草剤を懸けて、5時半に終わる。疲れた。

チーコと私の卒業日誌(177)

4月1日、晴れ、昼前、ジャスコの庄屋で食事の後、パンや弁当などの買い物。公園の桜を見て、家に帰り、畑を耕し、庭の草取り。6時に終わる。

2日、夕方、マンションとの境、北畑に移したアベリアの木が強風で倒れそうなので竹を打ちこんで補強する。

3日、昼から、南隣の塀からはみ出した竹を切り、北マンションとの境に伸びた樫の枝を整理。午後6時に終わる。

8日、この2.3日、血圧が下がらないので、晩飯を抜き、風呂に入り、111まで下がったので7時頃から寝たが、夜中何度もトイレに起きる。

9日、朝牛乳を飲み、10時半、通便、普通体調。11時に県の地方選挙投票へ。しかし、スーパーとグッデイに寄って帰り、八戸町から村へは車が混んで大変だったが、無事家に帰って、午後1時から庭仕事。6時に終わる。

10日、午前中、労金の通帳を切り替えて、墓地の管理費を局で納める。

11日、沖縄で墜落した自衛隊のヘリが見つからない。電磁砲ではないかという説もあるが、はやく見つかって欲しい。

13日、午前中、隣家から米を持って来てもらう。午後からマンションとの境に伸びた木の枝を剪定し、畑に薯芋を植えてみる。明日は雨。

16日、午後から、北畑のユズリハの木を3本、マンションとの開いた境に植えていると、急ににわか雨。その後はみ出した木の枝を切って、3時半に終わる。

17日、9時から、県の文学賞企画委員会に出て、今年度の小説、随筆の審査員を決め、漫画喫茶で昼めしを食って帰る。

18日、午前中河畔公園を散歩して、昼から庭仕事。5時に終わる。

20日、昼から、松の緑摘みなどの庭仕事。4時半に終わる。

22日、昼から、庭の草取りなど。今日は風が強い。

26日、午前中二回、孫の帰郷について長男と電話。

27日、昼から庭の草刈りなど。5時まで。

28日、午前10時過ぎ、1メートル幅の北水路に、ゴミ(ビニールシートと大型のペットボトルが2個投げ入れられているのを見て、自治会長に連絡。会長は写真撮影後、マンションの業者に連絡するとのこと。しかし、6時半まで待ったが、誰も片づけに来ない。明日は雨。オーナーも「言うてください」と言うばかり。暗くなるので自治会長に電話して、ゴミ出し場の近くに以前からの物干し竿と一緒に積み上げた。

30日、午前中、Sさんが西瓜を持って来て呉れた。

 

 

チーコと私の卒業日誌(176)

3月1日、梅と椿の花活け。今日は午後から雨。

3月3日、一輪の作業車のタイヤチュウブの修理をしたが、まだ空気が漏れる。タイヤのゴムそのものが破れているのか、直らない。足を高く上げると、小水に行きたくなる。ふくらはぎは第二の膀胱か。やはり人類は重力の弱い火星で生まれたのか。

5日、暖かいので、午後1時から庭の茂った槙の樹の剪定をして4時半に終わる。

6日、午後2時から4時半まで庭仕事。

7日、午前中、入り口の槙の剪定。

8日、午後から家東の槙の樹の剪定他、庭の草取りなどして5時に終わる。

9日、11時過ぎ、本庄ウナギで昼食後、東与賀でパチンコ。夜、雷の停電で帰る。

10日、昼前、大和の庄屋で食事して、イオンでパンや弁当を買って帰り、家西庭の貝塚伊吹の頂枝の剪定をする。

11日、昼から、貝塚伊吹や北畑の梅の頂芽をレバーパイプで剪定。一方、一輪車のタイヤチュウブの小さな穴を瞬間接着剤で塞いで直し、4時半に終わる。

15日、午後5時過ぎ、プロパンガス料金2か月分の14735円を支払う。(一人暮らしで、買い物など家に不在の時が多いため)

17日、県の企画委員会が4月17日でまだ早いが、小説と随筆の審査委員を誰にするかが気になり、名簿などを見たり、県や委員に電話したりで1日を費やした。随筆の方の予定委員はほぼ大丈夫だと思うが、小説の方は、負担過重な審査量やまだ応募したいなどの理由で断られるかも知れない。まだ決められず要再考。

19日、洗濯の後、午後2時~5時半庭仕事。

21日、午前中、佐賀県文学賞作品集が届いた。小説、随筆、詩どの部門も量、質ともに、昔に比べて下がっている。もう一度読んで見たいと思う作品を書けないものか。

22日、昼から、北畑とマンションとの境にアベリアを植えてみる。明日は雨。

24日、夕方、車検に出した車が戻る。15万は今月中に郵便局に。

25日、入り口の枝垂れ桜が満開。北畑のりょうぶを少し掘って車の後に植え、別の場所に生えた菖蒲、アイリス、水仙などを所定の場所に植え代え、5時半に終わる。午後8時、友人から電話があり、遅いからと断ったが、ジンに行く。

28日、午前中、北郵便局で車検費用を送金。午後から、桜の花を持って千鶴子に会いに行くが、逢えない。

29日、午後から畑を耕し、庭の草取り。5時半に終わる。

30日、午後から草取り、その後、北畑の南京ハゼの太枝を一本切り、6時に終わる。

31日、午後からの庭仕事、5時に終わる。