チーコと私の卒業日誌(180)

7月3日、雨、ロシアの政界=野党は、3件のオルガルヒ暗殺がプーチンの指示によるものではないかとの疑惑で揺れているという。反体制派のナガルニュイ氏を拘禁時、食事に入れた青酸カリで毒殺しようとした者の自白もあるそうだ。暗闇のロシア政界。

有明海の満潮8時半。干潮3時。(現在9時15分-風雨強)堀の水は一杯だが庭には入って居ない。午後になると、予報の大雨はなく、エアコンもドライに入れた。

6日、晴で温度が高いので、午後3時まで待って、庭仕事。表竹生垣の下の龍の髭を鍬で掘って取り、入り口の竹生垣やアジサイを剪定、庭の草を刈り、6時半に終わる。

11日、午後3時から、日陰の芝生の中の草を取り、6時に終わる。

13日、この前、妻の所へ花を持って行った時、ケアホームの所長から、私の望みが何かと訊かれた。私は、「妻が普通の人のように自分の足で歩けるようになることを」と答えた。そして、この面会禁止はいつまで続くのかと訊いた。思えば、この状態は、ウクライナとロシアの戦いにも似ている。苦しい。

14日、曇、午後2時から5時半まで、腕と首に蚊除けのベーブを塗り、庭の草をバリカンで刈り、堀辺や北畑への歩道を作る。

16日、晴、午後4時から作業。表の竹生垣の筍と道路に出た枝を切り、その後、畑の周辺の草を抜き、2~3の幼木を植え替え、7時半に終わる。

18日、朝9時、ゴミ出し場の掃除当番。昼2時半から、日陰の北畑の草刈り。小鬼ユリだろうか、何かの花の蕾。6時に終わる。

19日、昼3時頃、近所の民生委員さんが来訪。しばらく、昔のこと、お茶会のこと等話合う。5時から北畑と庭の草刈り。7時前に終わる。

20日、午後3時から、北畑の草を刈り、からいもを植え、6時に終わる。

21日、朝から、部屋でバリカンの修理をするが、動かない。少し風邪気味で、うがいを何度もして、薬も飲む。湯で飯を流し込み、5時過ぎに床に就く。

23日、洗濯物を干して、昼から暑いが、弁当などの買い物。

25日、午後2時前、どんぐりに電話して妻の様子を聞く。妻は昼食後、「何時もどうり食事の後、自分の部屋で眠っている」とのこと。少し気持ちが落ち着く。4時前から雨が降ってきた。さあ、スーパーへ行くぞ。

29日、曇、4時から、南隣境のフキや子竹などを刈り、北畑のススキ等の雑草を刈り6時に終わる。

31日、朝10時過ぎに北のイオンで、大分前に貰った、ウナギやメロン、シュウマイなど中元の返礼として、次男と妻の実家に鮭の西京漬を贈る。一週間~10日かかるとのことで、次男に電話する。