チーコと私の卒業日誌(183)

10月1日、気温28度。午後2時から庭仕事。今日は堀端に行く道の山吹や草などを刈り、芝生を掘って庭に植え、6時に終わる。

7日、曇、午後2時から庭仕事。表の生垣の整理の後、草取り、椿の剪定などで6時に終わる。

8日、午前11時半から公民館で敬老会。男女30人ほどでビールと食事。午後1時に終わる。

10日、午後4時から6時まで、渋柿付近の草取りなどの庭仕事。

12日、近頃、ウクライナイスラエルなど戦争の話題が多いユーチューブに嫌気が差して、夜寝る前の読み物に、「ビルマの竪琴」を読んでいる。ビルマに進駐した日本軍とイギリス軍の攻防で、終戦となり日本兵士の捕虜収容所での生活が書かれているが、戦争中行方不明になった水島上等兵の消息が主題になっている。実は彼はビルマ僧になっているのだが、この時代の戦争は武器も鉄砲だけで、お互い人間味もあり、兵士の会話や心情も書かれていてなかなか面白く、心が救われる。

15日(日)、午後2時から、筍が出る表の竹生垣の根を切っていたが、風が強いので、後、中央庭の槙の樹2本の整姿剪定をして5時半に終わる。

17日、今の施設「どんぐり」に妻が入居した当時、妻は「あなたも一緒じゅないの」と訊いたことがある。午前10時頃、芙蓉の花(熊の川からの花)を持って、「どんぐり」に行く。施設の人の好意もあり、がらす越しの面会だが、戸の隙間から、「早く良くなって家に帰ってきて」とか、「淋しいよ」とか叫んだ。コロナ禍で面会も出来ないこちらの気持ちを、分かって呉れたかな。車椅子の妻は微笑んでいたが。

18日、昼から、表生垣の根を掘り取っていたら、プロパンガスの集金。北畑の萱やススキに除草剤をかけ、後は、庭の草をむしって5時半に終わる。

23日、午後2時から庭仕事。まず、庭中の槙の剪定をして、ヒマラヤスギの一枝を切り、後は、堀端に浜坊の根などを植え、5時に終わる。

25日、午後1時から庭仕事。まず、表の倒れかかったヒマラヤスギを起こす為に、頂から引っ張った綱を槙の樹に巻き付け、少しづつ巻き上げて完成。後は、貝塚伊吹の剪定をして5時半に終わる。

27日、このところ雨がなかったが、朝9時から10分ほど、珍しく庭が白くなるほど雹が降った。昼2時から歩いて森病院で診察を受ける。

29日(日)、午前中買い物。午後1時から、表の竹生垣を整え、南隣との塀付近の蔦葛を取り除く作業をして、5時半に終わる。

30日(月)、午前中、作業用の靴を買う。午後2時から、北畑、マンションとの境の伸びた木や葛を剪定に、5時半までかかる。かなり疲れた。

31日、朝、ゴミ出し2個。昼2時から、庭中の槙の樹の下の葛を抜き、その後、脚立を使って、北の梅の木の剪定をして5時に終わる。