チーコと私の卒業日誌(165)

3月20日、昼から、北畠のユズリハを3本ばかり切り、掘った1本を柿の木の前に植える。掘の柳1本を寄せて、もう一つのほうを切って寄せようとしたが、作業中に泥に手を突っ込んで、服を汚してしまった。この柳は動かないので、また、雨が降った後にと、4時半に終わる。

22日、午前11時からの歯の治療、終わったと思ったら、今日は歯石掃除。5時前、Sさんが一人で来た。多分、奥さんがケヤキの話をしたのだろう。堀に突き出した太い幹を見せ、ついでに引き寄せた柳も見せた。彼も植物に深い関心があるようだ。帰りに色んな花をあげた。

24日、昼から、北堀の柳の埋めこみ。しもつけの移植、草取りなど、5時過ぎまで行う。もう、枝垂れ桜もつぼんでいる。

26日、仏壇の下を整理していたら、母ていが書いた小説や婦人会に係る論文が出てきた。3~4篇ほどある。昔の変体文字で書かれているので、少し読みずらいが、小冊子ぐらいにはなるかも知れない。考えてみよう。

28日、母ていが書いた小説は原稿用紙にして50枚ほどだろうか。大正時代、3人の男性から結婚を迫られる一人の女性の心情を描いている。略奪結婚など珍しい風習なども描かれて興味深い。

29日、朝8時半に森病院に行き、血液、尿、等の検査のための採取。

30日、曇り、昼過ぎ、妻は部屋にいて会えなかったが、どんぐりの大部屋を飾るソメイヨシノの桜の花を持っていった。後で見て喜んでくれるだろう。

4月2日、母が書いた小説「運命」をすべてパソコン入れ終わる。よかったよかった」

3日、昼過ぎ、近所のSさんが来たので桜の花を切ってあげた。昼から少し風があるが、北畑の柳、最後の手入れを済まし、庭の畑の草を取り5時過ぎに終わる。

4日、朝10時、妹のところに母の小説などを届ける。喜んでいた。

5日、晴れ、朝9時、好生館に行き、コロナの検査を受けた。明日は午後2時の入院だが、それまでに連絡がなければ陰性ということになり、入院出来る。近所の人2軒に入院の事を伝え、午後4時まで庭仕事をして終わる。夜、長男に入院保証人の件で電話する。入院のための誓約書など、書かねばならぬ。

6日、入院前の準備。場所が変わるので仕方ないが、衣類、タオル、薬などは勿論、日常使うものは持っていかねばならない。午後1時半に出る。好生館の六階に着いて、6時半頃夕食が出たが、食べる箸が無い。箸も本人持参になっていたのか。呼び出しボタンを押すとしばらくして年配の看護婦が来た。事情を話すと、すぐ割箸三人前持って来てくれた。明日は昼飯は出ないから、手術はその後だろう。

7日、手術は午後4時過ぎから、手術時間も1時間、スタッフの紹介もあり、信頼する気持ちにはなった。小便が近いことが気になり、ビニールの袋を装着してもらったが、最後に爆発、少し下着を濡らした。その後、トイレに行く回数が多い事が気になったが、良い事もあって、母の小説を読んでからの左足の腫れが嘘のように消えた。

8日、4人一部屋の患者の病気はそれぞれだ。病院には大小あるが、ここでは、一人一人の看護士、看護婦が担当の患者を受け持っているようだ。レントゲン写真を撮るために心電図の計器をはずしたら、担当者が別の担当者に連絡して又つける。看護婦がそうですかと云っていた食事の味付けが良いと云ったら、持ってきた青年が喜んでいた。夕方、明日の午後退院できると主治医が云ってきた。

9日、朝と昼の食事を済ませて待っていると、看護婦がやってきて、一階の警備室に一緒に行き、手続きを済ませて、家に帰り、植えた植物に水をやり、スーパーで弁当やパンなど買い物をして帰る。風呂は主治医たちに云われたように手術箇所に湯が掛からないようにして入った。