チーコと私の病床日誌(164)

2月27日、昨日の8時頃から30分ほど、長男と電話で、食べ物の話からウクライナへのロシア侵攻など、今の政治情勢の話もした。長男もブログを開設する模様。午後2時頃から、2年位前から気になりながら、高い場所で怖いなと思っていたヒマラヤスギの鬱蒼とした大枝。2本の大枝を今日しかないと切ることにした。梯子を懸け、枝に結んだ綱を2本体に巻いて登り、時間をおいて、4時までに2本の枝を切り落とすことが出来た。切り落とした枝の跡片付けも大変だったが、これも5時までには済ませた。庭も明るくなった。

28日、昼前、妹に父母の遺骨の件で電話。

3月2日、朝9時半から、好生館に行く。医師から、4月6日から12日までの手術入院を提案されたが、ベットで1週間の生活は長く、体力が落ちてしまうと思い、交渉したが、術後の様子を見てということで、結局のところ11日までということになった。その後、入院の手続きや費用などについての、担当部署からの説明を聴き、長男と次男の電話も聞かれたので教えた。昼食をレストランで摂って帰る。

7日、朝11時過ぎ、池田歯科で穴が開いた歯の充填終わる。同人雑誌「ふたり」が送って来たので、懐かしく唐津の白石さんに電話する。

8日、夕方、晩の弁当を買って家に帰ったが、なにか苛々して気分が落ち着かない。蜂蜜入りのサワー「ほのか」を飲み、ユーチューブの音楽を聴いていたら少し落ち着いた。血圧上が155。

9日、午前中、文学仲間の小松さんから電話。

10日、12時から、北堀に倒れた柳の幹を切り、巻いた綱を引っ張るが動かない。根が深く張っているようだ。また今度と思い直して、庭の槙の木の剪定などをする。午後4時に終わる。このところ雨が降らない。

12日(土)、昼12時から、北堀の柳の根を2本ばかり切ったが、やはり動かないので、柳を2つに分ける事にして、綱をもう一つの幹に掛け、水が増えるのを待つことにした。また、水上に伸びた2本の松の中、下の幹を切り落として4時半に終わる。

14日(月)、明日多少の雨が予想されるので、午後3時頃から、5時前まで、北堀の路肩に猫柳の枝を挿し木する。

15日、ウクライナに侵入したロシアの戦車。車の親子を殺すなんて。なんてひどいことをするんだ。例えロシアが勝ったとしても、人間として許せない。

16日、12時から、苺の畑に籾がらを混ぜて水をやり。庭で大きくなる草を掘りとったりして、5時半に終わり、風呂から上がって寿司でビールを飲む。千鶴子旨い物食べてるかな。しばらく涙が止まらない。

18日、やっと雨が降った。停戦協議で、ウクライナの自立が認められば、Nato対ロシアの確執も収まるだろう。後は、ロシアの古い意識が問題だが…。朝からの雨がやんだので、長靴を履いて裏畑の倒れた柳に結んだ綱を引っ張る。やはり具合よく動いた。庭仕事をして4時に終わる。