チェス

 最近の傾向では、SFを「サイエンス・フィクション」では
なく、「スペキューレティブ・フィクション」〔思考小説)と
考えるべきだという主張があるそうだが、エドモンド・ハミル
トンという人の書いた「フェッセンデンの宇宙」を、そうした
逆説思考として考えると面白い。
 これは、実験室の中に造られたこの宇宙そっくりのミニ宇宙
の話で、科学者はその外側から一種の力線で星の軌道や環境に
変化を与え、その表面に住む微細な住民の混乱ぶりを顕微鏡で
つぶさに観察しているという話であるが、この話の恐ろしさは、
ちょうど蟻が木片でいたずらする子供を知らないように、その
小さな星の住民たちは、自分たちの上におそいかかる悪運の真
の原因を知らないでいるということだろう。
 それはさておき、現在この宇宙空間は膨張をつづけているそ
うである。2倍の距離の星は2倍の速度で、3倍の距離のもの
は3倍の速度で、距離に比例して遠くの星ほど早い速度で遠ざ
かっているという。そのため、宇宙の地平線といわれる百五十
億光年かなたの星は光とほとんど同じ速さで飛び、その先は光
が永久に届かない暗黒の世界である。それから先は折れ曲がっ
ているのか、それとも異次元の空間につながっているのか確か
めるすべもない。
 この宇宙の初めはどういう状態だったのか、それはわれわれ
の知り及ぶことではあるまい。第一の原因を考えれば、つぎに
その原因の原因を考えなければならないからである。
 この宇宙が際限なく膨張していくものか、それとも膨張と収
縮を繰り返すものかも解決のつかない謎である。
 ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「円環の廃墟」では、夢想する
力によって後継者を創造した修験者は、自分もまた、だれかの
夢想の力によって創造された存在に過ぎないことに気づく。
 チェスの駒は自分たちが遊戯者によって導かれていることを
知らないし、遊戯者は神に導かれていることを気づいていない。
そして、神は他のいかなる神が彼を導いているのか知らない、
とはボルヘス自身の言葉だが、この場合は、むしろ東洋的な円
環構造の無限回帰物語と考えるほうに面白みがありそうである。
いわく、すべての原因はそれ自体の結果の結果である。