ミュー中間子

 浦島太郎はよく知られた日本の昔話だが、これをUFOに連
れ去られた実話だという人がいる。
 カメの形をした円盤にのせられて、別な星への旅行に三年間
をすごし、帰ってきたところが百倍の三百年の年月がたってい
たという。
 光速に近い速度で飛んでいる物体の中での時間の経過は、地
球時間からすると相対的に緩慢になるそうである。
 このローレンツの収縮の実証例としてあげられるものに、ミ
ュー中間子がある。光速の0、9998倍という速度で飛ぶこ
素粒子は、地上約15?の高さの成層圏パイ中間子からつ
くられるが、生まれてから百万分の1秒で消滅し、一つの電子
と二つのニュートリノという素粒子に変化することが測定され
ている。
 ミュー中間子の寿命からすれば、飛ぶことのできる距離は、
0,3?に過ぎないはずであるが、実際にはその五十倍も飛ん
で地上に到達するのである。
 ニュートンの絶対時間の観念は、ここでは通用しなくなる。
時間は運動する系によって伸び縮みするのである。
 年をとらないためには、じっとしていないで、できるだけあ
ちこち飛び回っていればいいという冗談がここで成り立つかも
知れない。
 しかし、どうせ生身の人間に光速度に近い速さなんて出せる
はずがない。としたら…
 そんな冗談を考え出す閑に、好きなことでもして人生を有意
義に過ごそう。そうすれば時間は、ほんのちょっとしか経って
いないように思える。時間は、個人の感覚によっても伸び縮み
するのである。
 浦島太郎の話も実際はそうだったかもしれない。目に触れる
ものすべてもの珍しく面白く、月日は主観的な時間感覚で、そ
れこそ夢のように過ぎていったのだろう。
 もともと時間は、地上の生活の便宜のために刻まれた目盛り
に過ぎない。
 五十億光年かなたの五十億年過去の星のまたたきは、時間の
不思議を物語っている。