カオス

 北欧に伝わる古詩「エツダ」によると、この世界ははじめ海
もなく土地もなく草一本生えていず、ただギンヌンガ・ガップ
という巨大な空洞があるだけだったという。この空洞の北側に
ニブルヘイムという氷と霧の国があり、そこの泉から流れだす
毒を含んだ川エリヴァガルの氷塊は、南側の炎の国ムスペルヘ
イムから吹きつける熱風にとかされて、水滴となって空洞の底
にしたたり落ち、凍りつき、またとける。こんなことを何万年
もくりかえすうち、氷に生命が宿って原始の巨人ユミルが生じ
たという。
 このギンヌンガがギリシャ神話の原初のカオス(混沌)――
ギリシャ語の原義で口を開く、すき間をつくる――に照合する
ものかどうかは分らないが、どっちにしろ、これら自成的創生
神話に共通するのは、世界の最初には漠々(ばくばく)とした
空間のひろがりがあったということであろう。やがてこのカオ
スからは夜と幽冥(ゆうめい)が生まれ、それらから昼とアイ
テール(エーテル)が生じるのであるが、このエーテルという
言葉は、のちに真空中に満たされた目に見えない力の媒体とし
デカルトによって再び使用されるのである。
 しかし、ユダヤ教のように唯一の神が天地万物を創造してい
く神話ならともかく、もともとなにもない空間からなにかが生
まれるというのはおかしな話ともいえる。無から有に転ずるの
は、無の中になんらかの原因なり力なりを考えねばなるまい。
 宇宙の空間にエーテルがくまなく満たされているという仮説
は、マイケルソンとモーレイの実験によって否定され、電磁誘
導の法則を発見したファラデーの「場」の理論はさらにアイン
シュタインによって展開されて、空間はあらゆる物体を生みだし
それに変化を与えていくところの力の場であり、物体とエネル
ギーとの間には性質的な差はないとされた。
 つまりこの空間は、何の物質も存在しない時もさまざまの力
が働き、ときには新しい物質を生んだりもするのである。そし
てこの認識による空間は有でもなく無でもない。仏教哲学でい
う『空』の観念に近いのである。