チーコと私の病床日誌(5)

平成26年2月1日(土)晴後雨、暖かい。10時半ホームへ。妻は今日も元気。お握り、お菓子を口一杯ほうばって、まだ無いかと催促する。足を椅子に乗せ、膝を伸ばす。車椅子に乗せ、駐車場を散歩。別れて、森林公園へ行き、お握りを食べ、煙草を吸う。しかし、一人で散歩する気になれない。夜、テレビで「幸福の黄色いハンカチ」を観る。
2月3日(月)曇後晴。昼食後、ホームへ。ケーキ、餅など食べる。膝を伸ばし、歩く練習。歩けるようになったら、家に帰れるからね。日記に、「節分」と書いたので、驚いた。2時に帰る。次は「チャイナマーブル」を忘れないように。
2月5日(水)うす曇。1時頃ホームへ。稲荷寿司、どら焼き、チャイナマーブル。膝を伸ばし、歩く練習。背中がかゆいというので、アロエ軟膏を塗る。2時半過ぎ、郵便局のKさんが来る。3時前、大部屋に連れて行き帰る。H子の母が9日に行くと、次男から電話。夜、妻の夢を見る。お母さん、お母さんと言いながら泣いている。
2月7日、冷雨。昼前に行き、9日に、向こうのお母さんが来ることを伝える。皮膚のかゆみは、幾らか治まったようだ。夜、箪笥の中の整理をする。
平成26年2月8日、
妻が特別養護老人ホーム「ケアホームD」に入ってから、私は、↓日おきに見舞いに行っているが、行くたびに、催促するのは食べ物だ。とにかくお菓子やお握りを詰め込むように食べる。しかし、当初は淋しい、淋しいと言っていた妻も最近は、介護婦や介護士と友達のような会話のやりとりをしているらしく、安心している。
 部屋は明るく、日差しがべットの上に射し込んでいるし、窓の外の植木の向こうには、グランドが広がっている。部屋には使い慣れた茶色の箪笥。北の隅の花台には水仙の花が咲いている。しかし。まだ、左手は動かず、左足も弱く曲がったままなので、行くたびに、廊下の手摺伝いに歩く練習もしている。
2月9日(日)曇、昼からホームへ。1時過ぎ、H子と母Kさんが見える。H子は、妻の礼服の下着を買ってきてくれた。Kさんとは、初めてだったが、打ち解けて話ができて良かった。土産のお菓子は、少し貰って、後は職員に渡し、3時前に帰る。
2月11日(火)曇時に晴、1時頃ホームに。魔法瓶に入れて、持っていったお汁粉は、スーパーで買った即席のもので、あまり美味しくなかった模様。前の日に、同級のMさんが来たようだ。淋しいと言うのは、変わらない。立って歩けるようになったら帰れるからねと言い、寝る前に、足の運動をするように言う。
2月13日、曇と雨、ホームは朝11〜2時頃まで。私が帰ると言うと、妻がここに居たくないのかと訊く。私は、大切な妻が気になるから、会いに来るのであって、会えば嬉しいよ、でも、今の状態の妻を見ているのは、実は辛い。だから、そんなに長く居たくないのだと言う。ホームの妻には、指しゃぶりをする友達が出来て、傍に来てくれるそうだ。リハビリが出来る施設のほうは良くないと、介護士たちが言っているという。
2月15日(土)曇時に晴、家で咲く梅の花を持って、12時過ぎにホームへ。お握り、菓子、稲荷寿司。足をマッサージして、足を伸ばし、歩行練習。まだ、左足が弱い。自分でも、寝る前にリハビリしてると言うが、疑問。私の宝物はわがままだ。
2月17日(月)雨、11時頃行く。妻は至って元気。私の弁当まで食べる。思い出話で、K病院でのリハビリ(袖に手を通す練習)が投げやりだったことついて、話していると、昔のことをくどくど言ってと腹を立てる。22日の外出届を出して、昼食時に帰る。
2月20日(木)晴、11時、病院の支払いを済ませ、さんしゅうの花をもってホームへ。次男に電話して、結婚式では、顔の化粧はしないよう、伝えてもらう。歩く練習後、3時に帰る。
2月22日(土)晴。次男の結婚式当日。長男が12時半家へ。1時半ホームへ。妻を車に乗せ、ホテルニューオータニへ。3時挙式(神前)。4時からの会食時、こっちで式を挙げてくれたO家の配慮に謝意を伝える。会食はフランス料理。H子の父は現在74歳、まだ、現役で、輸出関連の仕事をしているという。一応の交流はできた。車椅子ながら、参加できた妻も良かったと喜んでいた。帰りは7時ごろ。皆、飲んでいるので、福祉タクシーを呼び、車は置いて、ホームへ帰る。妻が寝る9時頃までいて、家にタクシーで帰る。
2月26日、雨、11時頃ホームへ。例により、鳥飯おにぎり、桜餅などの後、昼食も部屋で。足を揉み、歩く練習。向こうの昼休み時に次男に電話。母と話す。妻に、詩集の見本を見せて帰る。その後、神野公園で昼食。
2月28日、曇、10時半ホームへ。次男が持ってきた干し芋を食べている時、奥の差し歯が取れたので、介護婦に訊くと、ここの病院に歯医者も居て、治療出来るとのこと。安心して12時に帰る。帰りがけ、妻が他の入所者から「ちいちゃん」と呼ばれていることを知る。