チーコと私の病床日誌(149)

2月2日、洗濯の後、午前9時過ぎ、ゴミ集積所の掃除。

6日、14度、今日はいい天気なので、常々、行ってみようと考えていた坂井の西久保家に行ってみた。坂井は、私が中学生の頃から、父母や妹と田植えや草刈をするため、車力を引いて通った場所。当時は何故こんなに遠い所に、と思っていたが、実は、坂井は私の祖父林幸の実家があった所。(昭和37年、3田、三角田、苗代田、線路北を売却)。スーパーに車を止め、横断歩道を渡って、懐かしい道を歩いたが、往時の記憶とは違い、道は舗装され、田は無くなり、当時の農家も無く、すべて今様の住宅街に変わっていた。堀南の西久保家は、11代東京市長(弘道)の旧家で、その文字板は大きな枯れた槙の樹の下に建っていたが、家はすでに無く、南前の堤家の人に尋ねると、管理していた助一さんは昭和28年に亡くなったとのことだった。その時の話相手は二人の中年の女性で、あまり詳しいことは聞けなかったが、写真だけは撮ってきた。

7日、17度、午後1時から庭仕事、4時半に終わる。

12日、

韓国
ここに住む民族は中国による長年の支配により、奴隷根性を植えつけられてしまった。日本によって清国から開放され、アメリカに共産主義支配から守られたものの、やはり独り立ちができず、捏造した歴史、裏づけのない自尊心や愛国心で、正しいことを言う人を排除する監視社会をつくったため、自由な人同士、国同士の付き合いさえ出来ないでいる。現状を正しく見詰める政治家が現れないかぎりこの国は立ち直れないだろう。

13日、20度。昼12時から、3時半まで、北畑堀端の楠の枝をロープを巻いて切る。一日一本で、靡いた3本切ることが出来たが、脇の松の頂枝は、脂が出て鋸が動かず、風で飛ばないようロープで結んだままだ。

16日、ファイザーワクチンが輸入されたとのニュース。昼前長男と電話。午後、ホームの妻に、草太郎一家の写真を印刷した葉書を郵便局から出す。

17日、雪。昼前、森病院で、頻尿の漢方薬を加えてもらい、その後、北のジャスコベスト電器で、BHSからDVDへのダビングを5巻依頼する。完了して、電話が来るまでには、2週間以上はかかりそうだ。

22日、

 韓国人の思考回路
何か自分に不都合なことが起きたら、感情ばかりが先立って、事の因果関係に筋道を立てて冷静かつ論理的に考えることが出来ない。自分達は、5千年の歴史がある優れた民族であるという主張が、国の願望教育から来るとしても、世界を見下すような態度が他国に受け入れられる筈はあるまい。人と人との関係を上下関係でしか考えない態度こそが問題だということが分からないのだろうか。

23日、2時間ほどした昨日に続き、午後2時半から、堅い畑の土をスコップで掘り起こし、5時に終わる。今のところ、イチゴと無花果を植えているが、あと、何を植えるかは決めていない。