ーててててって、この山車の化け物に乗ろうと駆け込んできたところが、ぶうぶう鳴く早駕篭に足をすくわれて、みごと転んじゃったよ。しかしなんという場所なんだ。でけえ火の見櫓みてえな建物がにょきにょき建っていて、そこから蟻みてえに、人間がぞろぞろひっきりなしに出てきやがる。ここはいってえどこなんだ。花のお江戸を後にして三百年、仙人島で過ごして帰ってみればこの変わりよう。いってえどうなってんだ。
ーなにを言うてはんのや。おっさん気狂い病院からでも出てきたんとちゃうか。早駕篭ちゅうのは車。火の見櫓ちゅうのはビルのこと。それにこの乗り物は電車ちゅうもんや。それにしても今からどこに行くんや。
ー神田の家に帰るんだ。
ー江戸の神田か。ちょっとあるな。
ーちょっとある?おれは気が短えからな。ちょっとたあ、どのくらいなんだ。
ーここは大阪。江戸に着くのは夕方やな。
ーなんだめっぽう早えじゃねえか。
ー電車は機械で動くよってな。
ーそれにしても、人が多いな。誰も喋らんし、しぼんだ干物みたいにぶらさがってる。
ー辛い仕事に行くとこなんですよって。それに、こんな暑苦しいとこで喋る気にもならへんやろ。
ーそうかい。病人みたいに見えるが。おいそこのひと、席を代ろうか。‥‥なにぶつぶつ言ってんだ。おれが席を譲ろうかと言ってるんじゃないか。それともおれが座った席は気持が悪いっていうのか。
ーまあまあ、そんなに無理じいせいでも。それにあの方は病人じゃありませんよ。きょうび、元気なオバサンはいても、元気なオジサンは日本にはいまへん。電車に乗っても、道を歩いても、去勢されたようにふわふわ、にこにこ、おどおどと、まわりを気遣うおとこばかり。で、あんたさんみたいのを生っ粋の「をとこ」って云うんでしょうな。