行進曲(47)

 かなり以前のことだが、故向田邦子さん原作の「阿修羅のごとく」というテレビドラマを見たことがあったが、そのテーマ音楽で聞いた古いトルコの行進曲が珍しかった。
 確か世界最古の軍隊行進曲ということだったが、そのおどろおどろしい旋律を聞きながら、私はふと、脈絡もなくドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中で語られたトルコ人についての挿話を思い出していた。それは、次兄イワンが弟のアリョーシャに語る話だったと思うが、「トルコ人は甘いものが好きで、笑いながら赤ん坊を銃剣の先で受け止める」といった話である。
 無責任な伝聞じみた内容だが、軍隊の残虐行為は、かっての蒙古、トルコに限らず日本軍の南京攻略の時もあったろうし、現在紛争中のどこの国でも起り得ることだろう。
 いま日本国内で行進曲風な音楽といえばどんなものが演奏されているだろう。半世紀も前ならともかく、甲子園の入場行進のほかほとんど聞いたこともない。
 行進曲はいうまでもなく人間の歩く足並みにあわせたリズムをもった音楽で、聞いても体の奥深くにまで達するような快感をおぼえる。いわば肉体全体を元気にするリズムがある。それに反して今はやりの演歌は回顧的情念的であり、神経をかき乱すような作用がある。どちらがいいと言うわけではないが、曲の流行には時代が関係しているのだろう。
 軍隊行進曲は戦争が終わるまではよく聞いた。終戦後は共産主義思想の蔓延とともに労働歌の替え歌となり、組合のデモ行進時によく歌われた。知らないもの同士が腕を組んで歩くことで連帯感が培われ、歌声酒場での合唱でも、そういった一体感のなかで無反省に歌われていたようだ。
 行進曲を聞くと、懐かしい気持ちがよみがえると同時に、ある警戒感が心をよぎる。それはかってこの集団的無思考の快感に身を任せたことに対しての自省の念かも知れない。