チーコと私の病床日誌(67)

8月11日(木)猛暑、朝6時半、空き缶,びんと一緒に不用の本を出す。今後、努めて家中の本の整理をしていく積もり。
8月15日(月)今日は大東亜戦争終結の日。私は、中学1年で勤労動員された北山で、終戦を迎え、いり豆で腹を壊していたため、トラックに乗れず、2、3日後、一人なんとか歩いて、市内の家まで帰ってきた。チーコは、小学校6年で、政情不安な朝鮮から、船で下関に引き上げてきた。当時、ともに戦争に負けたことに、悔しいという意識もなく、貯金通帳も価値が無くなり、日本中が食うや食わずの食料難、衣類を売っての生活難の中で、両親が必死に支える日々の暮らしの知恵で生き延びて来た。当時、生徒だった私には、大部分が墨で消された教科書の記憶が残っている。
8月17日(水)晴、朝夢で、チーコが、玄関から「ただいまー」と帰って来た。エプロンをして台所に立って居るチーコの手をとって「どうして?」と懸命に訊く。ホームから電話がかかって来るが、わけの分からないことばかり言う。でも、チーコの元気な姿を見て、久しぶりに楽しい気分。

天山で