チーコと私の病床日誌(98)

7月24日〔月)今日は曇なので、以前から気に懸かっていた竹生垣の剪定を、2時半頃から始めたが、3分の2ほど済んだところで、突然の雷と激しい雨。半時間ほど中断して、再度、残りを6時までに仕上げる。
7月25日(火)このところ連日35度。昼から、お菓子と花を持ってホームへ。妻は元気。御菓子を食べた後、Iパッドを見せる。赤ん坊の写真や動画には関心を示して、「可愛い」と言うが、眠そうなので、職員に介護負担割合表と保険証を渡して帰る。
7月31日(月)今日も暑い。チーコと別居生活4年。何もない、何もする気になれない。食べて生きるだけの暮らしが続く。以前書いた原稿を見るが、あまり面白くない。
8月1日(火)午前中、川副の海苔道楽に行って、府中と茨城の親戚に暑中見舞いを送る。
8月5日(土)今日も朝から暑い。
循環する生命(いのち)
我々人間は、植物や魚、肉など、他の(生命)いのちを食べて生きている。この地上では、お互いに食べながら、自分の命を繋いでいる。循環する生命。食べあう生命。いのちは自他ともに有難い。
無機質な物質の中から、生命は何の為に生まれたのだろう。どんな意図がそこに在るのか。もともと、無機質のもの、空気や窒素、水などが在るがゆえに我々は生まれた。物質から生命へ。これらは、初めから予定されたことなのか。でないとしても、これは、宇宙の意思であろう。
人間は自立した意思を持っているように見えるが、宇宙から見れば、物質が変化した、単なる生命の入れ物ーいのちの具現物に過ぎない。
8月6日〔日)今日は広島原爆の日。私は、太平洋戦争の終戦時、中1だったが、4時から、NHKの特集番組「東京裁判」を見た。戦勝国11カ国の判事が、日本の戦犯の処遇について議論する様子を見て、少なからず興奮したらしい(血圧177)。被告は、侵略の罪で裁かれ、それぞれ、絞首刑や禁固を言い渡されたが、人道上の罪ではなかったという。英国の植民地支配から独立したインドの判事が印象深かった。