鷲の城(上)

 君には信じられないかも知れないけど、僕はこの三日の間あの山の中にいたんだよ。ここから見
ればただ白い雪に埋もれているあそこには、ここにいる誰も知らない街がある。
 いかにも行いすました様子で下宿の籐椅子から窓の外へ眼をやっているのは、私の古くからの友
人でした。丁度仕事のきりがよかったので柱によりかかったまま、彼の横顔を見詰めていると、ふ
と私は、この友人が生来生真面目な性格の持主であることを思い出しました。
 明け放った窓からは、彼のふかす煙草の煙がつぎつぎと流れて、その向うには雪を戴いた山系が
輝いています。
 体験として――君にはこんなことはないかな。なんでもよい、例えばデパートのエスカレーター
に乗っている間に、ふいにその瞬間か訪れるのだ。それはなんというか、ほんの今まで遊びに熱中
していた子供がふと自分をねらっているカメラに振り向く瞬間に似ているかも知れないし、大勢の
観客の前で飛びこみ台から水の中へ突っこむ水泳選手の孤独な状態にも似ている。まるで血 
がひくように自分のまわりが変によそよそしく遠のき、それからどこへ行っても何をしても面白く 
なくなる。やがて自分を人前にさらすのも気がひけて、或る日世間との関わりがふっ切れてしまう。
 僕は神秘主義者ではないが、人間は一生のうち二度か三度はそうした根元的な場所からの霊感を
経験すると思うんだ。
 全く厄介なものさ。人間はその日その日生きていくんだからな。僕なんて気分屋だから、自分の
その時々の気分をどう制御してその日の生活の軌道に乗せていくかということがいつも最大の急務
なんだ。うまく乗っているうちはいいけど、調整を怠るとすぐおっこちる。僕が仕事を休みたいと
思ったのはそんな時だったのさ。
 ところで、いったんそう思ってしまうと、まあなんてあとは楽なことか、そしてこれまでの自分
がなんと馬鹿にみえることか。
 きめられた手順で行われる変化のない仕事、仕事の上での交際、礼儀、形式、挨拶、そんなこと
をまじめくさって八時間ずつ繰り返している自分のことを考えるとたまらなくなることがある。ま
るで機械のように黙々と仕事をし、そして毎日がそれで終っていくんだ。
 ところでこういう風な考え方をするこの僕という機械を、機械自身は何と思うだろうかね。うん
僕には分っている。もし、機械が口を利くとしたらこんな事をいうかも知れない。
 君は変った奴さ。誰でも一生懸命この世間の中にとけこもうとしているのに、まるでそうしたこ
とには全く関係がないかのように超然としている。そうした君をみるたび偉いと思うことさえある。
しかし、こっちには君の考えていることは全然解らない。もちろんこっちなりに考えての話だが、
君は恐らくそんなこっちを軽蔑しているんだろうが、それはおあいこというもんだ。はっきりいっ
てこっちはこっちなりに君を軽蔑している。その理由はこっちが君以上に世間のために一生懸命働
いているからだよ。こっちは世間の必要な部分だが君はそうではない。いわば不自然な何とも恰好
のつかない不要な部分に過ぎないのだ。そんなわけで、世間は容赦なく不良な部分、錆びついたも
ろい部分を押しつぶし外にほうり出そうとするんだ。
 私は、彼がエスカレーターの上で考えたのは、もちろん、そんなはっきりした観念ではなかった
ろうと思いました。多分、彼の内部にある周囲との非協和性が徐々に嵩じた結果、突然、自己の異
物視から自己解放へと転じ、それが世間との関係を優越的な関係で断ちたいという希望になったの
に違いないのです。恐らく彼の精神は休息を必要としたのでしょう。非人間的な機構の中での仕事
から一時離れることにより自己を取り戻したかったに違いありません。それは誰にでもよくあるこ
とです。私は彼の話をそのまま黙って聞くことにしました。
 たしか、海の神様はポセイドーンだったな。僕もそのポセイドーンの恵みにより、というより僕
の気分のうっ積はもう始末におえない程大きくひろがってしまったので、この状態を救ってくれる
のは海のようにでかいものでないと工合が悪かったわけさ。
 会社を休んで汽車にのり、その日暗くなってからやっと海浜の宿についた。身も心もくたくたで
風呂にはいり、飯を食べるとそのまま布団の中にもぐりこんだ。下の方で女中達が騒ぐ声がしてい
たが、やがてその声も静まると、あとは潮騒の音が絶えず枕元をゆすった。何度も、何度も、繰り
返し押し上せる波しぶきが慈雨のように僕にふりそそぎ、やがて一条の流れとなり僕を押し流して
いった。
 いったい、世間とは何だろう。僕はよくそのことについて考えることがある。君には分ると思う
が、僕は世間というものを特別なものに考えるタイプではない。それを至上なものとも思わないし、
またことさら反世間を標榜するものでもない。僕の思考の中では、世間−常識−道徳−秩序−体制
−形式等という外部観念は、自己−肉体−意識−自然−実存等という内部観念とともに雑然といり
混って存在する。僕が世間について考える場合、それを言葉以上の意味には解しないし、ましてそ
の世間とべとべとした関係になるなど想像するだにうとましいのだ。その点では僕は自分のことを
オーストラリヤの土人よりもはるかに野蕃人だと思っている。土人には少くとも呪術的共同社会が
あるが、僕にはまるでないからだ。
 世間は僕にとってすでに有機的共同体であることをやめ、すこし気になる裏のアパート位の意味
しか持ち得ない。主として統計的な見地から新聞を読み、文化を価値としてよりむしろ教養として
知ろうとする僕には、もうずっと以前から世間など積極的な意味はなかったのだろう。僕は機械に
はなるまいとし、また機械から逃れようとしたが、そうした僕自身いつか不要な機械の部品のよう
に閉ざされた観念でしか物事を見ていなかったのではなかろうか。
翌日、僕は一人で海岸の砂浜の上を歩いていた。海は穏やかだった。僕は波打際でいくつかの貝殻
を見つけた。それらの貝殻のなめらかな肌の感じは、僕にひどく遠い場所に来たような錯覚をいだ
かせた。
 僕は裸になって海に飛びこみ沖へ向って泳ぎはじめた。それは意味のない行為だった。しかし意
味のない行為をあえてしたかったのだ。僕は肉体の機械的なリズム、筋肉だけの力によって沖へ進
んでいた。
 時々、僕は手足を動かすのをやめた。僕のまわりで海の水は青く澄きとおり、ゆれる光の縞を底
の方へと漂わせていた。手足を蛙のように伸ばしながら、僕は生きているということは何だろうと
考えた。ふと正体の知れない不安が胸をよぎった。生と死が同じぐらいの力をもって僕を支え、海
はそれを無関心に笑っているという想像が僕を急に溺れさせようとした。僕はびっくり返って太陽
や雲の方を眺めた。するといくらか気分が楽になった。
 次第に海が荒れてきた。体が冷えきっているのを感じ、僕は岸へ向って泳ぎはしめた。浜に上
り、体を拭き着物をまとうと宿の方へ向って歩きだした。はやくも凄まじいうねりが海から打ち寄
せていた。海と空の境は真暗で見分けがつかなかった。黒い雲が頭上に飛び、豪雨が波しぶきと一
緒に吹きつけてきた。僕は岩につまずきながら走りだした。いやに岩のごろごろしている海岸だっ
た。帰り道をまちがえて懸命に反対の方向へいっているのではなかろうかと不安を感じた。ふとそ
の時、行手のまっしろな雨脚の中に黒いものが動いているのが見えた。古生代の鳥、巨大な翼竜
双翼を上下にゆるがせながら、二本の柱のような足で立っているのだ。振り向いて後ろにも同じよ
うな鳥を認めた時、不意に大きな爪が僕の胴をつかみ、僕の体を中空に持ち上げた。
 海が小さくなり、急に山が大きく迫った。僕は巨大な爪の中で、なかば気を失いながら飛んでい
た。ひろびろとし高原に投げだされている僕自身に気づいた時、ここに僕を連れてきた嵐もすでに
去り、巨鳥の姿はどこにもなく、ただどこまでも澄みきった空には深い大気が流れていた。低く連
なる山脈が地平線に見え、草原はゆるやかなスロープとなって下り、眼のすぐ下にはしゃれた洋風
の赤い屋根が見えていた。
 美しく平和なしかしどこか塗りこめられたような風景だった。何故ぼくはこんな所にいるんだろ
う。一体ここは何というところだ。僕は思わず口に出して叫んでみた。すると、それに答えて思い
もかけぬ方向から、口笛のような鋭い声が空気を引き裂いた。みると、真青な蛙のような生き物が
ぴょんぴょん飛びながらこっちへやってくるのだ。人間位の大きさの奴が、へんな鳴き声をたてな
がら手をひろげて近づいてくる。
 僕は、しばらくあっけにとられたように立ちすくんでいた。しかし徐々に後すざりし、すぐに本
気になって逃げだした。行先はすぐ下の赤い屋根の建物だった。僕の叫び声を聞きつけたのか、建
物の戸ががらりと開いて、そこからユースホステラー風の老人が現れた。老人は戸口に立つたまま
こっちを見ていたが、それはえらくゆっくりとして物憂い様子だった。僕は戸口から飛びこむなり
戸を閉めて身を震わせた。
「あの動物は、いったい何です」
 老人はそれには答えずに云った。
「ここは初めてだね。まあ、今晩はここに泊って、あした街行きの一番のバスに乗りなさい」
 僕は老人にあてがわれた部屋に入ると、あたりを何度も見廻した。ベッドの傍に椅子があったが、
今のところ腰を落ちつける気持にはなれなかった。
(突然この椅子が歩きださないものでもない)
 と呟きながら床に坐ると、ベッドの下にピンポンの玉が一つ落ちているのが眼についた。あんな
ところにあるんだもの、誰も気付く筈がないや)そう思っていったん眼をそらしたがどうも気にな
る。また眼をやると、どうもさっきとは異った位置にずれているようだ。そんなことを四、五へん
繰り返しているうち、とうとう僕はその玉を拾いあげてポケットの中に入れてしまった。
 その時手が硬いものに触ったのでひっぱりだすと、さっき部屋の鍵と一緒に老人から渡された冊
子だった。見ると、両翼をひろげた鷲の絵が表紙に印刷されている。なかを開いてみると、内容は
どうやら国家精神や、言霊信仰に関する論文のようなもので、目次を見たかぎりでは、例えば、
「世界国家に対する一構想」とか、「暗闇の中で物を識別する方法」とかいう活字が眼にとびこん
できた。ふと思いついて、裏表紙を返して見た。しかしそこには、発行の年月日も著者の名も印刷
されていなかった。
 僕は、次第に暗くなる部屋の中で、異常な世界に来た自分のことを思い、心細い気持になるのを
どうしようもなく、床から立ち上ると、そのまま疲れた体をベッドに横たえた。
 空気がへんに熱っぽかった。夜半にふと目覚めた僕は、窓から外気を取り入れようと、ベッドか
ら立っていって、やっと彼等に気付いたのだった。
 窓ガラスにびっしり張りついた灰色の軟体動物。どこに眼があるのか、頭や、手足がどこについ
ているのか、いったい彼等が何匹いるのか、それも判然としないが、お互いにくっつき合って窓に
吸いついている彼等を眺めてのは気持のいいものではなかった。
 僕は窓から眼をそらすと、また思いついて例の冊子をとりあげた。古ぼけた表紙を枕元のスタン
ドにかざして、鷲の絵をみているうち、はっと気がついたことだが、その表紙には鷲の他にもう三
種の動物の絵柄が印刷されているのだった。両翼を拡げた鷲を頂点として蛇、蛙、なめくじが三角
形の底辺の位置に描かれているのだった。
 僕は気狂いのようになって頁を繰っていった。どこかに、きっとこの本のどこかにこの絵の意味
を解きあかす文章がある筈だ。しかし徒労だった。なかには何も、そのことに関しては書いてなか
った。
 僕は疲れきり、あおむけになって眼を閉じた。じっとりと額に汗がにじんで、何度も寝返りをう
った。やっと明け方近くとろとろとまどろんだと思うと夢を見た。夢の中で、窓の外の生物の一匹
がすき間から部屋にはいりこみ、眠っている僕の上にぴったりと覆いかぶさった。現実の彼等は気
味悪かったが夢の中ではむしろ好ましかった。僕はなめくじに抱きすくめられながら、どこか広い
牧場の上かなんかを飛んでいるような気持だった。