チーコと私の病床日誌(142)

7月10日、雨、午後3時半、山代プロパンのF君が集金に来たので、少し,ダイキンエアコンの話を聞いて、代金26万円を支払う。ついでに座敷のほうのエアコンを見てもらったが、まあ、お客のない客間だから、また、こんどしよう。

14日、夕方、ホームから、16日の推進会議取りやめの電話。予想していたことだが、チーコに会えないのは悲しい。電話では、元気にしているとのことだがー。

16日、午後2時~4時、台所の生ゴミを畑に埋め、庭に一面生えた小さな背高泡立ち草を手でむしり取る。蚊が多い。

17日、午後4時~6時、バリカンで草刈。最初蚊が多いが、あと風で散る。

21日、朝10時前、歩いてM病院へ。何事も無し。昼から、ジャスコベスト電器で、VHSのビデオをDVDに変える方法を聞き、弁当を買って帰る。

28日、午後5時頃、次男から電話、地域それぞれの話言葉などについて30分ほど話す。写真を送るとのこと。

29日、雨がやんだので、4時半作業を始めたが、蚊と水滴のため、桜の高曲がり枝と表の飛び出た竹枝を少し切っただけですぐやめた。

30日、午前中、どんぐりに保険証と負担割合証を郵送する。

31日、晴ときに曇、気温34度。ずっと雨のため家の中が湿っているので、エヤコン2台を除湿にして、午前中、部屋の掃除をする。午後3時半からは、庭の草刈。蚊取り線香を炊きながら、5時半に終わる。

8月2日、午後3時半から庭の草刈。暑い。やはり蚊に刺され、6時に終わる。

3日、唐津の海を見たくなり、昼から車で妻と行った場所に寄る。道の駅、海辺、松林、お魚村など殆ど変わっていない。ただ、海は波がなく、霞でぼんやり見えたのが残念。5時半に家に戻る。

4日、ホームから持ち帰ったチーコの日記。開いて読めば、涙が止まらない。2、3ページでやめる。

6日、金立公園に行ってジャスコで買い物。4時から5時、ジャスミンを剪定する。

10日、午後から雨とのこと、我慢していたが、朝8時半~9時半、北畑に行く通路だけバリカンで草を刈る。堀では、初めて見る機械船が、昨日から水草を取っている。

11日、3月11日は母の命日。母ていは、昭和49年に79歳で亡くなったが、あまり書き物は残していない。しかし、母の思い出は、県の新郷土に「ためいき」として出している。独身時代は、父母に迷惑をかけたが、昭和36年、妻千鶴子と結婚してからは、かなり孝行したつもりだ。今日、父健六の日記を読んで、初めて、それが判った。子供たちがうまれたこと、一日龍登園で過ごしたことなどが、克明に書いてある。しかし、母が亡くなってからの3年間は、認知症で苦しいことだったろう。その頃の日記は、字も乱れ、あまり判読できないが、亡くなる前には、妻に手を合わせたという。