チーコと私の病床日誌(62)

7月3日(日)朝10時、紅葉饅頭届く。昼食後、気温は高いが、曇り空なのを幸いに、庭のあちこちに生えたアメリカ背高泡立ち草を引き抜いていく。表の竹生垣は伸びたところを鋏で切り取る。4時半入浴。7時ごろ広島の姉から電話があり、それぞれ双方の暮らし方の話を20分ほどする。88なのに、まだまだ元気な様子だ。
7月4日(月)バングラディシュのテロは、ISと関係のない裕福な家庭の若者たちの犯行だとか。善意の日本人が7人も殺された。この頃は、罪もない人が理由もなく殺される。ISの宣伝から作られた風潮が動機だとしても、その国のために働いて殺された人たちは浮かばれまい。
7月7日(木)気温はこのところ34度だが、今日は曇りなので、昼から、大きくなり過ぎた樹を枯らすための芽摘み(これで3回目)と、表の笹切りなどをする。3時半から、今日は七夕なので、「願自立歩行」とつけた小笹を持ってホームへ。妻の元気な顔に安心するが、色々と昔の話をするうち、熊の川の「お母さんはどうしてる?」と訊く。まだ、生きているように思っているのか。92歳で、20年前に諫早で亡くなったよ。姉さんも弟ももういないよ。それに、もう僕らも82と83だよ、と言うと、もうそんなに!と感心したように言う。時間の感覚が薄れているのだろう。でも、チーコと色々話していると、温かく優しい気持が戻ってくる。5時になったので、森林公園で煙草を吸って帰る。