チーコと私の病床日誌(32)

1月13日、曇、私は58歳で市役所を退職したが、かっての職場にあまりいい思い出はない。私は、市民課で7年間、住民票のコピー焼きの仕事をしなければならなかった。また、別の7年は、福祉事務所で、朝から酒を飲んで文句を言いにくる障害者の相手をしなければならなかった。市民相手の相談は、相手のわがままだと分かっていても、親身になって聞かねばならない。
市役所の仕事は市民のためにあるというのが第一目標だが、その組織の実態は極めて恣意的で、親方日の丸的だった。人事の配置は、一応人事課が握っているが、それに介入する議員や市長、管理職などもいて、一般職員の間に不公平感があった。もちろん、人事は、欠点も感情のある人間が決めるのだから、仕方がないことではあるが、そのために、職員の間に、嫉妬や差別が育つのはいいことではない。私は、管理職にお歳暮を贈ったことはないが、そうした習慣が人事に影響をしないとは言えないだろう。
毎年秋に行われる課の親睦旅行。春の人事異動に伴う歓送迎会。酒を飲み交わすことで、お互いの連帯感を深めようとしたのか。親睦旅行の幹事役はバスや旅館の手配で大変だったろう。酒が入ると、酒癖の悪いのが必ずいて、愚痴をこぼす、からむ、課長に突っかかる、部下を殴る係長などもいた。それでも、前夜のことなど知らぬ寝不足顔で、みんな揃ってバスで帰る。
広報の仕事に変わってからも、酒の付き合いは続く。広報紙の編集は、私には合っていたが、バルーンなど市内行事のカメラ取材に加えて、市政記者室の若い新聞記者たちの歓送迎会がよく行われた。市政記者との親睦会、食事会、他県での結婚式にまで出席した。
30年の市役所勤めを定年前に辞めたが、私はよかったと思っている。辞めてからもしばらく、腰痛で、整骨院に通った。それから、ある日突然熱中症にかかって半年ほど入院したが、横になっている間、取れなかった首の付け根の痛みが、今では嘘のように無くなった。散歩する時、妻からよく、「背中が曲がってる」と言われた姿勢もまっすぐになって、以前あんなに悩まされていた腰痛も無い。今は一人、一緒に苦労した妻の回復だけを願い、公園を歩く。