チーコと私の病床日誌(17)

9月20日(日)、晴、朝9時頃から、隣家との境に伸びた紫陽花、りょうぶ、アベリア、小竹等を塀の高さまで切っていく。ユズリハの樹も、この前の台風で枝が折れ、隣の倉庫に靡き懸かろうとしている。堀端では、ヤブカラシの太い蔓が、柿の枝まで伸びている。この柿の木は、祖父の時代からのもの。二周りほどはある幹に巻き付いた、草葛を剥ぎ、作業で整理した枝葉を、柿の木の向こうの堀端に運ぶ。蚊取り線香を焚き、途中、3度ほど休憩して、水分を補給しながら、最後は、裏の畑に繁茂した萱に除草剤を撒き、3時ごろ作業を終えた。
9月24日(木)曇、昼から、神埼の焼きを買いに行ったが、臨時休業。川上の白玉饅頭を買って、ジャスコのレストランで昼食を摂り、家に引き返し、花を持って、ホームへ。すでに、妻は玄関先に居る。花を大部屋の洗面台の傍に活け、職員に菓子折を渡し、妻と部屋へ。妻は鳥飯お握り2個と白玉饅頭6個をあっというまもなく平らげる。妻の話では、私の車が見えると、みんな「とうちゃんが来たよ」と教えてくれるらしい。花を持って来るので、覚えられているようだ。家に帰りたいと言うので、私も一緒に暮らしたいけど、一人でトイレに行けるようになったらねとなだめる。歩けるよ、トイレも自分でできるよ、と言うが、何でも自分一人でしている積もりのようだ。
9月25日(金)曇、朝9時から12時半まで、表竹垣の伸びた芽の切り取り、その後、厚くなった裏高垣と、庭木の剪定。渡り鳥だろうか。小さな鳥が電線にとまって、珍しい声でさえずっていた。
9月26日(土)晴、昨夜から、水洗トイレのホースから、床に水が滴っているのに気付き、元栓を止めて色々して見たが、止まらない。今日は土曜日で、工事は頼めないなろう。一時しのぎに、水漏れの下に容器を置くことにした。5時半から、妻がホームに入っているこんな時にと、色々迷ったが、JINの閉店記念パーティに出席。久しぶりに酔ってしまった。8時にタクシーで帰宅。
9月28日(月)、晴、朝、トイレを設置した業者に連絡したところ、間もなく、9時半に来てくれた。水は内側の機械から漏れているらしく、すぐ部品メーカーに連絡してくれるとのこと。台所の生ごみを北の庭に埋める。今日は洗濯物がよく乾く。あちこちで、自然災害が発生しているが、佐賀は、何事も無く、恵まれている。西沖縄には、また強い台風が来ているようだ。辺野古移設に反対する知事は、沖縄の未来をどう導こうと思っているのだろうか。過去、平和な交易国だった琉球王朝は、薩摩に併合され、明治維新廃藩置県で、沖縄県となり、大戦末期は、日本の防衛基地として、アメリカ軍に熾烈な攻撃に晒され、戦後はアメリカの基地の島となった。知事は、国連で、悲惨な現状を訴えたが、沖縄の未来は見えて来ない。