チーコと私の病床日誌(16)

8月20日(木)、曇、昼からホームへ。妻は、相変わらず元気なのに、私のほうが夏ばて気味で、つい、愚痴をこぼしたくなる。家に一人でいると、淋しいよ。と言うと、私が家に帰らなきゃね。と言う。そのためには、リハビリして、早く歩けるようにならなきゃと言うと、歩いてるよと平気で嘘を言う。空想、それとも願望?分からない。
8月23日、夜、テレビの特集で、小笠原の西之島の様子を写したものを観る。絶え間ない噴火と圧倒的な溶岩流、わずかに残った場所で子育てする海鳥。無人カメラで写した映像に感動する科学者たちの表情。私にもまだ、未知への好奇心や物事に感動する力は残っているだろうか。
8月27日(木)、晴、ホームでは裏の道の舗装工事があっていた。お菓子の後、妻を寝台の枠につかまらせて立たせようとするが、立てない。体が重くて支えきれない。ベッドに座って、家で私がしている事などを話す。今日は、発音がはっきりしていて、聞き取り易い。「私が居なくなったらどうする?」「○○や○○(子供の名前)がいるからいいよね」と妻。「あんたが居なくなったら‥‥」私は涙が止まらない。
9月3日(木)、急に寒くなったせいか、風邪を引いて3日目。3時過ぎに、マスクをして、ホームへ行くと、妻も少し咳きをしているが、食欲はいつもと変わらない。まだ、食べたいと手を差し出すので、ほら、もうお腹いっぱいじゃない。今日何を食べたか覚えてる?と訊くと、お芋と言う。今日はね、おはぎと、どら焼き2個、それから、白桃のプリンだったよ。やはり、食べたものはすぐ忘れてしまうようだ。帰る時、いつも手を振ってくれるが、今日はそれも無かった。
9月8日(火)家では、必要最低限のことしかしない。掃除、洗濯、食事と庭の手入れ。後は何もする気にならない。チーコが居るときは、することが沢山あった。妻が家の中心に居て、あーしたい、こーしたい、と言って、することが沢山あった。ところが、今は、何もすることが無い。何かをしたいという気が起きない。ときに、あまりに殺風景なので、庭の花を活けるが、これも、妻がしていたこと。離れていても、チーコは、今も私のこころを支配している。
9月9日(水)、明日は木曜。妻に会いに行く日。風邪気味なので、8時から寝る。(夢)出版記念会で、一緒に参加した妻を探している。椅子にみんなと並んで居たはずなのが、どこを探しても見つからない。(夢2)配属されたばかりの課で、課長から、駅まで人を迎えに行ってくれと云われ、出かけるが、道に迷ってしまう。おまけに、相手の名前も年齢も知らないのを思い出して、引き返そうとするが、庁舎のエレベーターの回路が複雑で、なかなか職場に戻れない。
9月15日(火)、10時半、今日の虫歯の治療は、奥歯の型取り。後は2週間後。気に懸かっていた、家の東側の外壁内へ出入りするスズメ蜂は、8月に入り口を塞いでから、もう来ていないようだ。巣が出来たら大変だ。可哀想だが、よかった。そのほか、家に住む虫類では、やもりもいるが、これは、朝、窓を開ける時、ばたりと落ちて来るぐらいで、夜の窓の向こうに張り付いている丸い指先が可愛い。やもりが居るせいだろうか、最近ゴキブリも見なくなった。
9月17日(木)、晴、11時、S病院での診療、薬の受け取り。午後1時半にジンジャーと萩の花、次男からの葡萄を持って、ホームへ。相変わらず詰め込むように食べる妻。一段落してから、左手も足も動かず、不自由じゃないかと訊くと、不便なことは無いと言う。みんなとわいわい云っているので、淋しくも無いと言う。そう言いながら、突然、「西国ミサさん」(熊の川の友達の名)と、思い出したように言うので、会いたいのだろう。手紙を書いてみようかと云うと、それはいいと言う。一度、車で外出したとき、寄ってみようかと云ったときもそうだった。今はしかし、立てないので、車に乗せることも出来ない。