チーコと私の病床日誌(11)

平成26年11月2日(日)、曇で風が少し。昼から長男、孫とホームへ。妻を車に乗せ、家に帰り、車椅子のまま居間の床に運び入れる。長男が買ってきた寿司を皆で食べ、妻はテレビのサスペンスを見て過ごす。午後4時、車に乗せてホームに帰るが、車椅子に乗せる時、妻の下着が濡れていることに初めて気がつく。長男とT子は翌3日に帰京。
11月5日、19時半、県病院で、ペースメーカーの定期検査と診断。
11月6日、10時過ぎ、M病院から主治医を、ホームを管理するS病院に変更して受診。11時ホームへ。その後、森林公園で、コンビニのカレーを食べ、園内を散歩。

11月9日、県文学賞表彰式。その後、仲間と展望レストランでコーヒー、会話。気持ちが落ち着かない。穏やかな気持ちにならないと。家では、煙草ばかり吸う。
11月22日、朝方、大きな鶴が家に舞い降りた夢をみた。鶴は開いた窓から入り、座敷一杯に羽を広げ、足を畳んで休んでいる。鶴は羽の上に人間の子供を二人乗せていて、不安な様子で周りを見回している。
11月25日、ホームへ。妻の好きなマユミの実を活ける。久しぶりに家で作ったがめ煮も、懐かしいのだろう、美味しそうに食べる。その後、少し暖かい外の空気を吸いに、車椅子で駐車場を散歩。
11月30日、雨、1日、パソコンのユーチューブとテレビを見て過ごす。
12月2日、S病院で受診後、薬局で、ビックエレキバンを購入してホームへ。妻の首に掛ける。なんとか直って欲しい。
12月5日、夜の夢。子供たちが遊んでいる部屋の中で、一人だけ、部屋の隅の仕切りの中に小さな子がいて、その子は、誰とも口を利かず、ひたすらじっと立っている。やっと、その子の親が帰って来たようだ。その子の明るい声が聞こえる。「ねえ、ママ‥」。
12月13日、市立図書館で、「詩を語る会」に参加。寒い一日。
12月15日、ユーチューブで、日本の国歌「君が代」をヘブライ語に翻訳した記事を見る。クムガヨワ=立ち上がれ。テヨニ=シオンの民。ヤ、チヨニ=神に選ばれし者。サッ、サリード(サザレ、イシノ)=喜べ、人類を救う民として。イワ、オト、ナリタア=神の予言が成就する。コ(ル)カノ(コケノ)ムーシュマッテ=全地で語り、鳴り響け。君が代の歌詞は、10世紀の「古今和歌集」の和歌(作者不明)を、明治13年、国歌として、天長節に初めて演奏されたそうだ。ちなみに、古代のイスラエルは紀元前、アッシリアに攻められ、その12部族が南や北、更に西へ逃れるなか、シルクロードを通って、7000戸=1、9万人が日本へ到達したそうだ。(日本書記=仁徳天皇の時、弓月の国の王が127県の民を連れて来た)古代へブル語と日本語の類似も、穴=ホル、話す=ダベル、貴方=アタ、果汁=ミツ、宿る=ヤドーウル、と多い。歴史の世界は面白い。
12月22日、次男が21〜23日まで帰郷。今日は、妻を家に連れて帰っている。妻は茶の間の座り椅子にけろっとして座っている。妻と一緒に過ごした50年を思うと、急に涙が出てきた。
12月24日、鶴屋で、お歳暮の菓子をO家に送り、その後、S病院で受診、1時過ぎにホームの妻を見舞う。3時から、保護者として、ホームの役員会に出席。
12月25日、昼過ぎ、次男への結婚祝いと、妻の見舞いのため、諫早の親戚、妻の弟嫁と娘のR子が来る。有難い。コーヒーを出し、色々話をする。