福鼠(33)

kuromura2006-01-05

 荒木さんはぼくの先輩だ。大学で古代文字の研究をしている。それも、エジプトのヒエログリフとか、中国の甲骨文字などじゃなくて、日本の神代文字を研究しているらしい。
 日本最古の物語りである古事記や、日本書紀万葉集はすべて漢字でかかれており、もし、それ以前に、神代文字というものがあれば、なぜそれが使われなかったという疑問が残る。ぼくは神代文字の存在については疑わしいと思っているのだが、荒木さんはその存在を真剣に信じているらしいのだ。
 意見の相違はあるが、とにかく荒木さんは
ぼくにとっては、ただの先輩以上に親しく憎めない存在である。
 今日もぼくは荒木さんの部屋のソファに寝そべりながら本を読んでいる。
 荒木さんはパソコンの前で、なにやら研究に没頭している様子だ。
「うーむ、この図形は一体何を意味しているのだろう」
 そっと起き上がって覗くと、パソコンの中の写真には、平たい石に陰刻されたみみずのような模様が見える。
 ぼくはまた、そっとソファに戻った。あんな暗号解読みたいな仕事がどうして面白いのか‥‥。
 ぼくが泉鏡花の「春昼午刻」の世界にどっぷり浸かっている時だった。
 突然、何か白っぽいふわふわしたものが本の前を横切った。
「何だろう」と目で後を追うと、その白茶色の物体は、ぽんぽんと毬が跳ねるような感じで、荒木さんの椅子の下の暗闇に潜り込んだ。
「ひゃあ」荒木さんが飛び上がった。
「ホツマだ。ホツマだ」
 荒木さんは立上がって、訳の判らないことを云って嬉しそうに騒いでいる。
 あれは、単なる白い二十日鼠に過ぎなかった、とぼくは思うのだが‥‥‥。