北の王子(2)

 今、私の眼の前には小さい氷の塊がある。机の上のトレイの上に乗って、少しづつ溶け始めている。もう三分ぐらいで無くなってしまうだろう。これは正確にはひょう(雹)というべきで、たった今、空から落ちてきたものを拾ったものだ。あと三分。私は引き出しから虫眼鏡を取り出した。氷の中の黒いシミのようなものが気に懸かったからだ。
「おんや」
 虫眼鏡を通して見ると、最初蚊かとおもわれたシミは、驚いたことに、小さいながら人間の形をしているのだ。あやうく虫眼鏡を取り落しそうになった。
「こりゃ大変」
 私は部屋の中をうろうろし、また机の前に戻って、氷の中の人間を確かめた。 
「どうしたことだ」
 私はぼんやり窓の外に目をやった。さっきまで吹いていた強風はぴたりと止んでいる。
「暑い、暑くて死にそうだ」 
 不意に眼の前で声がした。
 消防団の纏いのようなものを着た男がトレイの上に立って、手を振り回している。氷が溶けて中の人間が出てきたのだろう。少し大きくなって、背丈は十センチほどもある。
「君はいったい誰なんだ」
 私はおずおずと訊ねた。
「俺は北の王子。アイヌだ」
アイヌ? ああ昔亡びた北の国の」
 私は改めて彼の黒くて短い髭を見詰めた。そういえば、彼の衣裳も北海道のアイヌ観光の熊踊りで見たことがある。
「あっはは」私は突然笑い出した。
 彼はトレイの上で飛び上がり、叫んだ。
「笑うなら笑え。やがて、お前の国も亡びるのだ。もうすぐな。これは警告だ」
 そして彼は、そのままトレイの上から消えてしまった。