チーコと私の病床日誌(52)

4月25日、曇、シーツとタオルケットを干し、11時昼食をたべてから、気に懸かっていた、生垣下の草取りから始め、後、マンションとの境に伸びた枝を剪定。その後、2時ごろから、庭中のヒマラヤスギに、梯子、脚立を掛けて、不要の枝を鋸で切り、形を整える。上のほうまでは出来なかったが、混んだ枝が無くなり、すっきりとなった。これは次男の誕生木ー樹齢48歳になる。
4月27日、雨。遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん。遊ぶ子供の声聞けば‥‥平安末期の今様歌謡である。人は何のために生まれてきたのか。人生の終わりを迎え、これまでの自分の生きようを思い返す。誰しも、目的を持って生まれてくるわけではないのだが、これまでは、何がしかの目標があって生きてきた。今は、そんな自分を見てくれる者が居ないのが淋しい。
4月28日(木)1時にホームへ。入り口で蕗の煮付けと玉屋のゼリーを介護の人に渡し(部屋では食べさせないでと言われている)、部屋に入る。部屋では、車椅子のバンドを解いて、立たせようと抱きかかえるが、立てない。あまり話題がないので、写真帳を見る。3時からの推進委員会は3時半に終わり、病院のほうへ行く。妻が家に帰っていいかどうかを院長に訊きたいというのは保留にする。妻は自分の状態(立って歩けないこと)をはっきりと認識しておらず、その時々の気持ちだけで、自分の考えを表現しているのだ。私は妻の言うことをまともに聞き過ぎて、そのために悩んでいる。妻の言うことならと思うこの悪循環が私を苦しめる。